今野誠一の“マングローブ的生き方”ブログ

2011.12.06今日の日めくり
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無財の七施

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昨日12月5日の【今野誠一の今日の日めくり】は次のようなものだった。


IMG_5930.JPG


自分がちっぽけで、価値のない人間に思えるなら、

何かすばらしい事をしてみては?
そう、誰かを助けてあげるのです。


If you feel small and worthless, do something great-----help someone in need.

↑ この日めくりはマスターライト社よりご購入ください

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この日めくりに僕は、以下のようなメッセージをつけてfacebookに発信したんだ。

 

「誰かを助ける」ということを、そんなに大げさに、たいそうなことをしなくてはならないと思う必要はない。何かすごいことをするのではなく、話しを聴いてあげるだけで救われることもある。時には黙ってそこに一緒にいてもらえるだけでありがたいことだってあるんだから。

そして、普段の小さな親切が自然にできる人にこそ価値があると僕は思う。人類がどんなに進化しても、一人では生きられず、支え合って、助け合って生きるという基本は変わらない。

どんなスーパースターでもスーパー経営者でも、独裁者でもどこかでは人に頼り、誰かに支えてもらって生きている。

 

そうしたところ、ある方から次のようなコメントを寄せていただいた。

 

「無財の七施、実践していきます」

 

無財の七施というのは、お釈迦さまが、雑宝蔵経に教えられている、お金がない人でも、物がない人でも誰にでも出来る7つの親切のことなんだけど、このことは、僕は逆に「お金がないからこそ」「物がない人のほうが」という風に感じるんだ。

 

お金を手にし、物に囲まれれば囲まれるほど、こうした人間本来の感覚を失っていくのかもしれない。

 

1眼施……温かい眼差しで接する

2和顔悦色施……明るい笑顔、優しい微笑をたたえた笑顔で人に接する

3言辞施……心からの優しい言葉をかけていく

4身施……肉体を使って人のため、社会のために働くこと。無料奉仕

5心施……「ありがとう」「すみません」などの感謝の言葉を述べる

6床座施……場所や席を譲り合う

7房舎施……訪ねてくる人があれば一宿一飯の施しを与え、労をねぎらう

 

これらをひとつひとつ詳しくみていきたいんだけど、このことを一番わかりやすく表現していたのは、その名もズバリ「仏教」というサイト。

 

そこから拝借して来て一部手を加えてあるんだ。興味があれば読んでみてね。
さすがに仏教。生きるバイブル。人生の七箇条にもなりそうな7つである。
ぜひ何度か噛み締めて読んでみられたい。


【無財の七施】 

 

1.眼施(げんせ):やさしい眼差(まなざ)しで人に接する

 

やさしい暖かい眼ざしで周囲の人々の心を明るくするように勤めること。

「眼は口よりも物を言う」 とか 「眼は心の鏡」とも言われるように、人間の眼ぐらい複雑な色合いを写し出すものはない。

その眼にたたえられた和やかな光は、どんなにか人々をなぐさめ励ますことだろうか。

とくに落ち込んでいるときなどは優しい眼ざしに見つめられるととっても元気になる。

相手によってはどんな言葉をかけていいか分からない時がある。

そんな時はじっと温かく見つめてあげてほしい。

見つめてあげる相手がいないときは、鏡に映った自分に対してでもいいし草花や道にいるネコでもいい。

優しい眼差を心がけると不思議なことに自分のこころも落ち着いてくる。

布施は、施された相手だけでなく施した自分にもかえってくるのだから。

 

2.和顔悦色施(わげんえつじきせ):にこやかな顔で接する

 

優しいほほえみを湛えた笑顔で人に接することをいう。

心からの笑顔にまさる美しさはない。

純粋無垢な笑顔に接する時、人は一瞬人生の苦労を忘れ、生き甲斐さえ感じる。

笑顔はまわりを和ませ、トゲトゲしい対人関係をスムーズにする。

自分が苦しい時、辛い時さびしい時、笑顔をするのは苦しいことである。

無理して笑う、これもつかれることだ。

しかし、自分がさびしい時、苦しい時はまわりの人の中にも同じようなつらい思いをしている人がいるはずだ。

だから、思い切って、精一杯の笑顔をプレゼントしてあげよう。

あなたの思いやりの心と勇気に生きる力をもらった人はきっと

あなたに感謝の言葉や感謝の眼ざしで返してくれるだろう。

それがあなたを支えてくれる力になるのだから。

「施しは生きる力のもとと知れ」

 

3.言辞施(ごんじせ):やさしい言葉で接する

 

心からの優しい言葉をかけていくこと。

みなさん、振り返って、今でも覚えている、うれしかったことって何だろう。

悲しかったことって何だろう。

大好きな彼から、尊敬する先生から、両親から
あの時、あんなことを言ってもらった

あんなひどいことをいわれてしまった

ということではないだろうか?

小遣いもらった、何かを買ってもらった、それもありがたいのだが

言葉のプレゼントは相手の心にふかく届き、はげまし勇気づけることができる。

励ましたい相手、よろこばせたい相手の前で、そっと心を落ち着けて

その人が何を分かってほしいか、のぞんでいるか、耳をそばだててみよう。

自分のいいたいことや自分の聞いてほしいことでなくて、

ちょうど、自分が鏡のようになって相手の心を自分に映してみよう。

「つらかったね」

「ずっと我慢していたんだね」

「さびしかったんだね」

「ほんとに努力したんだね」

「とっても優しいんだね」

悲しみや苦しみ喜びをなるべく共感して、心をこめて言ってあげよう。

心からの優しい言葉は、何億円だしても与えられない生きる力や勇気を与える。

優しいの「優」という字は「人」によりそって「憂う」と書くのだから

相手の悲しみを一緒になって悲しむこころ、思いやりの心、布施の心なのだ。

同時に注意をしなければならないのは

言殺(ごさつ)といって、言葉で人を殺すこともできるということ。

不用意に言った言葉にふかく傷つけられたり傷つけた人もあるだろう。

肉体の傷はなおっても、一生きえない心の傷もあるのだ。

そんな心の傷に苦しむ人は、同じ心の傷をもつ人に思いやりの心をもって

自分があの時、いってほしかったこと

励ましてほしかったことを勇気を出して言ってあげよう。

それはそのまま、あなたに返ってくる。

形あるもの・お金や財産を施すことも尊いのだが、

大切なものは目に見えないもの。

無形の財産を施せる人になりたい。

 

「施しは生きる力のもとと知れ」

 

4.身施(しんせ):自分の身体でできることを奉仕する

 

肉体を使って人のため、社会のために働くこと。無料奉仕。

子供ならお家のお手伝い、掃除をしたり料理をつくったり

無料で誰かのために何かをすることだ。

冷凍食品よりも手料理がおいしく感じられるのは

味もさることながらそこに思いやりの心がこもっているからだろう。

仏教では心や口や体の行いの中でも一番重たいのは、心だといわれる。

心が口や体を動かすからだ。

めんどくさい一杯の私達が人のために何かをするということは

それだけの心がなければできない。

親や家族、友人から何かをしてもらった時

目に見えるものから目に見えない思いやりの心を感じ取ることができれば幸せだ。

 

5.心施(しんせ):他のために心をくばる

 

「ありがとう」「すみません」などの感謝の言葉を述べること。

感謝の言葉だけを取りあえげて教えておられるのは

「ありがとう」という感謝の言葉はいった人もいわれた人も

幸せにする素晴らしい言葉だからだと思う。

「ありがとう」というたった五文字だが、

一言いうだけで相手の苦労は報われた気持ちになる。

 

「施しは生きる力のもとと知れ」

 

周りを幸せな気持ちにするには

何千万円というお金が必要なわけではない。

思いやりの心一つで自分も相手も幸せな道を生きることができるのだ。

 

 

6.床座施(しょうざせ):席や場所を譲る

 

場所や席を譲り合う、「ゆずりあいの心」である。

 

ほとんどの人は意地と我慢で、おれがおれがの我を通そうと

小さなことでもゆずる事が出来ないものである。

意見がぶつかった時、ほしいものがかちあったとき

ゆずるとまけたと思われるのが嫌だからだ。

逆に、相手に譲らせて自分の強さを見せつけたい

自己顕示欲に振り回されている。

 

しかし、こんな歌がある。

「花を持つ 人から避ける 山路かな」

 

人一人しか通れぬ、狭い山道をすれ違うとき

先に道を譲るのは花束を抱えている人である。

意地を張ってぶつかりようものなら、大事な花が散ってしまう。

意見が衝突した時、意地の張り合いをやめて、先に譲る人は 
花を持つ人だろう。

「こんなつまらぬ意地の張り合いにむきになって、何をしているんだ。 
お前の使命はどうなった?」

「そんなことに時間や気力を使っている暇あるのか。
ここまで育てていただいてきたのは、
こんなくだらぬいがみ合いするためか。恥ずかしく 
ないのか。」

絶対にこの誇りだけは傷つけてはならない、
との強い自覚を持つ者が道を譲るのである。

下らぬことに目くじら立てて我を通そうとするのは
心に光のない人である。

中国の天才的武将、韓信は、若いころチンピラにからまれたとき
争いを避けるために相手の股をくぐったといわている。

こんなところで意地を通して命を落とせば自分の大志を貫けない
大志の前には股くぐりの恥辱など、物の数ではないという強い
信念があったからだろう。

「負けている人をよわしと思うなよ。忍ぶこころの強きゆえなり」

相手に勝ちを譲れる人は本当の心の強さをもったひとではないだろうか

 

「施しは生きる力のもとと知れ」

 

周りを幸せな気持ちにするには
何千万円というお金が必要なわけではない。
思いやりの心一つで自分も相手も
幸せな道を生きることができるのである。

 

7.房舎施(ぼうじゃせ):自分の家を提供する

 

訪ねてくる人があれば
一宿一飯の施しを与え、労をねぎらうということだが、これは現代ではだれでもというわけにもいかないが、労をねぎらう心は大切だ。

 

「お疲れ様」「ご苦労さま」

 

ちょっとした言葉だがすがしい気持ちになるものだ。

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