今野誠一の“マングローブ的生き方”ブログ

2009.06.28今日の日めくり
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心に真理を

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先日、マングローブの若手社員数人とじっくりと飲む機会がありました。

将来への希望に満ち溢れていて、本当に気持ちのいいものです。

また別の日には、別の会社の若い人たちと飲む機会がありました。

「まったく、今の若いもんは・・」という、昔に比べて軟弱になっていることを憂うような言い方があります。
全面的にそういう考え方に与する気はありませんし、むしろ、今の若い人たちのほうが優れていることも多いと思いますね。

一点だけ、心配というか、まずいんじゃないかなあ、って思っていることはありますね。
それは何かというとですね、コンサル会社の社長が言うと意外にとられるかもしれないんですが。

勉強しすぎの人が多いんですよね。

この場合の「勉強」という言葉は、相当狭い範囲で使っています。
ここでは「本やインターネットから知識を得たり、学校で理屈を学ぶ」ということを「勉強」と言っていると思ってください。

とてもいろんな本を読んでいて知識も豊富なんです。
新聞も読んでますから、時勢にも通じてます。

それは素晴らしいことなんですが、気になるのはどんなこともすぐに「評価する姿勢」なんですね。
言葉の端々に、それが「正しいか正しくないか」とか「いいか悪いか」という判断をする癖がついてるんですね。

老子は、知識を不自然なものと言っています(老子が実在するかどうかの議論などは置いておいて)。
知識も道徳もむしろないほうがいい。いい悪いというよりも、知識や道徳などはないほうが自然なのだと。

人間がモノを知るというのは、判断・分析・理解という語がしめすように、一つのモノを二つに分断し、分解することによって、「わかる」ものとすることにほかならない。
つまり相対差別をすることである。
知識で理解できない真理が多いと言い、知識で理解できない真理は体験的な直観によるほかはないと言います。

老子はさらに、知識がこの世に争いを生む原因になっていると言います。

相対差別の知識は、必然的に一つのものを二つに分け、対立と差別とを生み出すが、それが人と人のあいだの争いを起こすもとになる。
知識は一つのものを善と悪とに分けるが、自らを善とし、他者を悪とするところから、対立をよび起こし、それが争いの原因となることが多い。

現代人が、老子の言葉を全て受け入れて、まったく学ばないことなど無理なのですが、学びすぎる(経験を軽んじて机上の学びだけを優先する)ことの弊害はよく考える必要があると思います。


DSC02969.jpg

私たちは日々、
頭に知識を蓄えるものだが、
心に真理を蓄えることも
忘れないように。


We feed our minds daily with
knowledge, yet let us not forget to
feed our spirits daily with truth.


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