これまで何度かお目にかかっていますが、こうして改まった形でお話を詳しくお聞きするのは初めてですよね。いつもお会いする度に、精力的にビジネス展開をされているなあと感心していたんです。会社経営に興味を持ったのはいつ頃からですか?
物心ついたときには既に、でしたね。そもそもは、会社経営云々よりも自分で何かをやりたいという想いの方が強かったです。親父が警察官で、仕事に燃える、それはそれは熱い男でして。家でじっとしている姿をあまり見たことがないほどに仕事熱心な親父で、それが幼い私には何だかすごく格好良く映っていました。そんな一生懸命に働く親の姿を見て育ったせいか、将来は自分も思いっきり仕事をやってやろうという意識が芽生えていたのだと思います。
いい話ですね、「親父の背中を見て、自分で何かをやろうと思うようになった」とは。大平社長のご活躍をお父様は心から喜んでおられるのではないですか。
今でこそ応援してくれていますが、昔は猛反対されました。というのも、大学で経営学を学ぼうと思っていたのですが、受験に失敗。その後浪人生活を送ることになるのですが、当時柔道整復師の専門学校に通っていた友人の話を聞いて、これから確実に成長していく業界だろうと確信したんです。そこで翌年、大学ではなく柔道整復師養成学校の門を叩いたのです。そんな私に両親は大反対でした。
それは無理もないかもしれませんね。経営者を目指すのかと思っていたら、いきなり柔整師になるんだと言い出し、いったい何を考えているのだろうと心配されていたのでしょうね。
当時地元群馬県にある接骨院といえば、髭の生えたお爺さんがひっそりやっているというイメージでしたので、何故私がそこに興味を持つのかは全く理解できなかったのかもしれません。
私の中では、柔整師になるのではなく、将来は独立して接骨院を開業することを目標においていました。それには、柔整師としての基礎も身につけておかなければ難しいだろうと考え、専門学校への進学を決意したんです。
半ば強引に入学したので、当然学費も自分で稼がなければなりませんでした。接骨院で働きながら勉強するという手も考えたのですが、当時は丁稚奉公だと給料はお小遣い程度しか貰えませんでしたから、生活費はおろか学費分も稼げない。そこで、学校に入学するまでは居酒屋でアルバイト。入学後は、昼は学校の授業を受けながら、夜は中華商材の卸問屋でアルバイトをするという生活を送りました。

学校を卒業後は接骨院に就職されたのですよね。その時は独立計画についてはどんなふうに考えておられましたか?
社会に出て5年間は徹底的に技術を学び、それから独立しようと決めていました。そのためにあえて厳しい環境に身を置き、修行に励もうと「高宮接骨院」に入社しました。院長である高宮先生との出会いは私にとって財産であり、人間としての土台を作る機会を与えられました。
高宮先生の整復技術はピカイチ、プロ中のプロです。おそらく怪我や骨折、脱臼の治療に関して右に出る人はいないと思います。仕事に対して厳しい半面、懐の深い方でしたから、上下関係が厳しかった院でも辞める人はあまりいませんでした。
そんな高宮先生が経営する接骨院は、患者様からもとても評判がよく、200人以上の患者様を抱えるほどでした。接骨院では、とんでもない数字なんですよ。
入社したばかりであっても、実際に現場に立って患者様を治療するわけですから、一切の甘えは許されません。先輩方も日々忙しくしていますから、誰も懇切丁寧に技術を教えてはくれません。そうすると、先輩方が治療しているのを横目で見て盗むしかない。自分の業務もありますから立ち止まってじっと見るなんてことはできません。それこそチラミですよ(笑)。そして夜、自宅に戻り、盗んだ技術について専門書を読んで確認するんです。体で憶えたものを頭に入れる。それを繰り返すと、次第に自分のものとなっていく。骨折の整復なんかはそうやって覚えていきました。
接骨院での勤務は体力的にも厳しかったですね。仕事は夜11時頃に終了し、そこから帰宅して夕食を取って銭湯で汗を流し、それから学んだことを復習する。気がつくと、あっという間に午前1時を過ぎています。朝は7時には出勤して1日の下準備をしますから、体力勝負でしたね。
そして、ある日突然「お前、やってみるか?」と、実践できるチャンスが巡ってくるんです。「今までしっかり盗んで、自分でも勉強したんだろう?だから試してみろ」と。せっかく与えられたチャンスを活かせれば、その後実践できる立場になるので、そうやって経験を積みながら技術を習得していくんです。まるで一昔前の職人の世界みたいですよね。
食らいついてでも頑張ろうと思えたのは、やはり将来は独立するんだという強い信念があったからですよね?
それはもちろんありました。しかし、それ以上に原動力となっていたのは、“業界としてのプライド”です。この “業界としてのプライドを持つことの大切さ”は、高宮先生の最も大切な教えのひとつだったと思います。
“業界としてのプライド”ですか?
接骨院の業界は、ある意味整形外科の医師の下請けみたいな感覚がありました。そのためか、この業界で働く人たちは、「健康保険が適用される分野だから、医師の下請けという立場であってもそこそこ収入を得られればいいんだ」という受動的という意識を持ってしまう傾向にありました。

しかし、高宮先生はそのようには思っていらっしゃらない方でした。 整形外科の医師というのは、医師免許を持っていて、当然社会的地位も高い。それは難関な門をくぐり、医学部でかなり勉強し、国家試験をパスし、その後ハードな研修期間を経ている。一方で、柔道整復師は2、3年で学校を卒業し、国家資格取得するにも医師ほどは難しくはない。だから、当然社会的地位は違うに決まっているんだと思いがちなんです。
しかし、柔整師のプロフェッショナルである以上、整形外科の医師に負けないほど勉強し、実力、つまり治せる技術を身につければ、医師よりも高い評価を患者様から受けることもできる。患者様からの評価は、医師であろうが柔整師であろうが平等だから、結局はプロとして実力をつけることが大事なんだということを教わりました。
すべては腕次第だと。
整形外科の医師に楯突くつもりはないですが、私たちだって負けないんだと。一人でも多くの患者様に喜んでいただき、自分たちの存在を地域にアピールしていけばいいんだ、整形外科よりも規模の大きい接骨院にすればいいんじゃないかって言われていましたね。
大平社長にとって高宮先生はまさに師匠と言える存在なんですね。
そのとおりですね。高宮先生との出会いがなければ、今の自分はないですからね。
先ほどの修行の話に戻りますが、諦めずに続けてこられたのは、やはり患者様の存在が大きいです。
あるお年寄りの女性の方から、初めて「ありがとうね」って言われた時は、背中がゾクッとするほど感動しました。学生時代に施術方法を習っていても、いざ社会に出て実践に移すとなると上手くいきません。患者様にとっても、迷惑な話ですよね。それでも一生懸命に技術を磨こうと努力すれば、喜んで貰えるんだと実感できたからです。もちろん将来開業して経営するんだという夢を忘れていませんでしたが、「とにかく一流の柔整師になりたい」という気持ちが強くなっていきました。ですから、そのための努力というのは全くいとわなかったです。
その間に分院長を任されるまでになったんですよね。
ええ、まあ。でもそこには苦い思い出だらけですよ(笑)。技術には自信を持てるようになっていた時期に、分院長という大役を任されるようになりました。それまではとは違い、患者様のみならず、分院で働くスタッフのマネジメントもやらなければなりません。しかし、何をどうしたらいいのか何も分かっていない。人のマネジメントにはスタッフとの信頼関係が大事だということ、スタッフ育成にはまず自分自身が「本気で育てていくんだ」という思いがあって始めて伝わるものだ、ということを認識していませんでした。ただ売上げを伸ばすことばかり先に考える傾向がありまして。

数字的な結果は出せているけれど、蓋を開けてみればスタッフは皆疲弊していた・・・なんて、部下からの評価が非常に悪い(笑)。そんな状況を見かねたのか、本院から私の教育係として、先輩が送り込まれてきました。
その方に、人を活かすイロハというのでしょうか、人を活かせばおまえも活きるんだという、OMGの理念にも掲げている『人を活かす、人に活かされる』ということを教えていただきました。
まず部下を信頼し、真剣に向き合えば部下だって一緒に頑張ろうという気持ちになってくれる、それが強い組織の土台を作り、活性化につながると。しかも、自分自身が仕事を楽しんでいなければいけない、闇雲に頑張る姿ではなく、楽しんでいる姿を見せろと。どちらかという使命感に燃えやすいタイプの人間なので、ただ頑張ることを美徳としがちだった自分を見直す機会となり、リーダーとしての資質を考えるきっかけとなりました。