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2009.04.09 UPInterview Vol.106
「働く者のハピネス」「子供達のハピネス」「保護者様のハピネス」「地域社会のハピネス」「会社のハピネス」こそが、私たちの望むものである。 (前編)
株式会社ゼンシン 代表取締役 前田忠嗣氏にお会いしに仙台まで行って来ました。
雪が降り積もる北の街は、なんだか独特の風情でした。雪も雨も嫌いじゃない僕としては、雪景色を味わいながらのうれしい旅でした。なかなか僕の都合がつかなくて、念願かなってのインタビューとなりました。
前田社長とは、あるセミナーの後の懇親会で初めて親しく会話させていただきました。
その会話の中で、もう「MG-NET+という僕の運営するサイトに登場してくれないか」と依頼していました。
MG-NET+に登場していただこうと思ったのは、短い時間の会話だったのですが、前田社長の姿勢に「エネルギー」を感じたからです。経営者として最低限必要なのは「エネルギー」であると思っています。その直観は当たっていたのですが、単にエネルギーがあるだけではなく、信念溢れる経営姿勢をお聴きすることができました。
- 前編
- 後編
【社長になりたいが夢】
とうとうやってきましたよ。約束したのは、昨年の9月でしたから、実現までに5ヶ月が過ぎてしまいました。お声がけしておきながらすみませんでした。今日は駅まで出迎えていただいて、感謝感激です。
いえ、わざわざおいでくださったのでこれぐらいはさせていただかないと。
こちらこそ遠いところありがとうございました。雪で驚かれたんじゃないですか?
そうですね。雪を想定しないで気軽にきちゃったので・・。ここまで歩いてくるのは大変だったかもしれませんね。迎えに来ていただいてほんとに助かりました。実は、私は生まれは岩手なので、雪には慣れっこのはずなんですがね。
今野さんは岩手ですか?北の生まれ同士ですね。私は北海道は日高の生まれなんです。
日高ですか。実に広大なイメージがありますね。日高というと広い牧場のイメージです。ご実家はやはりそういうお仕事ですか?
実家は農家でした。酪農のイメージがあると思うんですが、米作りをずっとやってきていました。実は僕の「忠嗣(ただつぐ)」という名前は家業に由来するんですよ。祖父のつけた名前らしいのですが、なんと「忠実に家を嗣ぐ」という意味なんですね。長男は家業を継ぐのが当たり前。小さい頃からそのように言われ続けて育って来たんですね。当時は国から米作りが奨励されている時期で、農家は土地を買ってまで米を作っていた時代です。父親もそのようにして拡大し、一時は20町歩もの田を持っていました。管内で一番です。しかし、食生活の変化と作り過ぎの状況の中で「米余り」の事態となって、今度は一気に減反政策です。
20町歩ですか。さすがにスケールが違いますね。そこまで拡大して急に減反と言われても農家は困ってしまいますね。政策の変更ですから今度は逆の奨励金が出るわけですね。
その通りです。一気に減反ですから、今度は米を作られては困るわけです。他の作物に転換です。他の作物を作ると国からお金が出る。減反奨励金です。消極的なことでお金がもらえるとなると、人間は駄目になってしまう。そう感じていました。実際父親は、何か生き生きしていないように僕には見えていましたから、将来の自分の仕事としてもイメージできずにいましたね。
前田社長は以前お会いしたときに、小さい頃から社長になりたいという夢を持っていたとおっしゃっていましたが、そのあたりのことも影響しているんでしょうか?
そうかもしれませんね。後を継いで農業することはまったくイメージできていませんから、自分で何か興したいと漠然と考えるようになっていたのかもしれません。
その後父は結局、稲作に見切りをつけ、競走馬の生産に大転換を果たしました。
僕が大学生の頃です。
サラブレットの生産ですか?さすがに日高ですね。しかしいかに土地があるにせよ、まったくの異業種への大転換です。設備も必要ですし、親馬も買わなくてはなりませんし。一大決心だったんでしょうね。
すごいことだと思いますね。地元でも話題になって、取材も受けていたようです。
そういう決断と行動力は尊敬しますね。実は弟が後を継いでくれています。
農業から馬に変わったとしても、ご自身が後を継ぐことは考えなかったのですね。
父親が大転換をしたのは、僕が大学生の頃だったんですよね。その頃には今の事業を始めるきっかけになる、学習塾の営業のアルバイトを始めていて、そこそこの成績を上げていまして、そのままそこに就職する道を選ぶことにして、とうとう実家の事業は継がずじまいとなりました。
なるほど、学生時代に営業のアルバイトをしたのが、学習塾との出会いなわけですね。営業の仕事がしたいと思ってそのバイトを探したのですか?
そうなんですよ。先ほど、小さい頃から漠然と社長になりたいと思っていた。何かを興す立場に憧れていたという話をしました。はっきりとしていたわけではないんですが、社長になるためには営業ができないと駄目なんじゃないかと思っていたんですよね。
モノ作りの道に進んで、何か新しいものを生み出そうと思っても、技術的なものは何も持っていなかったし、大学でもそういう勉強はしていませんでした。
人の作ったものを売る力をつけておけば、会社経営につながると思っていて、営業の仕事をしようと思ったわけなんです。
アルバイト情報誌か何かで見つけたんですね?
そうです。「アルバイトニュース」。当時はまだ学生援護会で発行していましたね。あれを穴が空くほど端から端まで見て行ったんですが、学生で営業をさせてくれるところがほとんどないんですよ。たまたま一社だけ「学生可」と書いてあったのが、その学習塾だったというわけです。大学に入ってすぐに始めましたんですが、営業スタイルが、一般家庭に個別訪問して塾に入ってくれるお子さんを探すという飛び込み営業です。
招かざる客、という状態ですしね。最初は苦労されたんでしょうね。
そうなんですよ。最初は、緊張のあまり玄関先でに頭が真っ白な状態になることもありました。何をどうしていいかもわかりませんでしたから、雲をつかむというのは、このことです。しかしやっているうちに分かってきたことがありました。営業という仕事では、もちろん何を言うかというセールストークも大事じゃないとは言いませんが、まずは「件数」が重要だということです。世の中の流れとして、お子さんを塾に通わせたいお宅は必ずある。ニーズがあることは分かっているわけです。だから塾の経営が全国で成り立っている。つまり、件数をこなせば、いずれは検討してくれるお宅に当たるはずだと。僕はこれを「宝探しゲームだ」と思っていました。
なるほど。正に足で稼ぐということですね。そういう考え方に切り替えてから成績が上がるようになってきたわけですね?
この会社は実力主義だったので、結果次第でどんどん上にあがっていけるんです。自分自身を武器として勝負をかけてみたい気持ちが強かったんですよね。

【アルバイト先への入社】
そのまま、アルバイトの身から正社員として正式に入社することになるわけなんですね?
はい。学生時代、アルバイトをしている時から、社長は我々を行く末には入社させたいと考えていましたし、自分も営業のコツと結果が出る楽しさも味わい始めていましたから、渡りに船といった感じもあったと思います。
1年目から飛ばしまして、全社のトップセールスマンになることができました。アルバイト時代に気がついた「訪問件数」にこだわって、ひたすら訪問しました。僕が入社した時には当然先輩営業マンがいたわけです。先輩営業マンはとにかく言葉巧みなんですよね。塾通いについてちょっとしか考えていない人でも、彼の話術でぐっと掘り起こして成約まで持って行く。それは、やはりベテランの技なんですよね。
誰でもできるわけじゃないし、ましてや昨日今日入社した人生の重みもない若い人間が同じことをやろうと思っても無理がある。だから、ベテランの先輩が1日に80件飛び込むなら、自分は3倍の240件だとばかりに、ずっと走って飛び込みをしていたわけなんです。
素晴らしい考え方と集中力です。件数をこなすことによって、話術で負けている部分を補い凌駕するという戦略ですよね。恐らくフットワークにおいては、当時の前田社長の方が先輩セールスマンよりも優っていたわけですよね。強みに特化して勝っていこうということですね。
そうですね。自分が人よりも優っているところで勝負することこそ、プロフェッショナルへの近道なのかもしれないですね。そうやって先輩よりも多い件数をこなしながら、1年も頑張っていると、いつの間にかトークでも先輩に追いつくことができている自分を発見することになります。結果が出せる営業マンになっていくんですね。そうやって強くなっていくわけなんです。
なるほど。前田さんは、営業が天職のような方なんですね。
いえいえ。自分自身では、そんなに向いているとは思っていないですね。
それは意外な言葉でした。確かに自分で向いていると思い過ぎてはいけないのかもしれませんね。進歩が止まっちゃいますね。前田社長も、自分が向いているわけではないという認識が、自分に色々と努力させたという面もあるんじゃないですか。トップ営業マンという結果がついてきているわけですから。
ありがとうございます。自己分析としては、自分の姿勢が信用されているのかなあ、という思いはありますね。お宅に訪問して説明していると、入会するとかしないとか、そういうことはどうでもよくなってしまう。そのお宅のお子さんが、勉強にきちんと取り組むようになってくれたらいい、できるようになってくれたらいい、そういう思いしかなくなってくるんですね。そういう感覚で営業しているということはあります。説明会などの時にも同じです。「入ってください」と力んでいても駄目ですね。別に入会してもしなくてもどっちでもいい。自分達はこんな考え方で、こんな姿勢でやってます。よかったら入ってください。というくらいがちょうどいいんです。ちょっときれいに言い過ぎているかもしれませんが、その姿勢が伝わっているとすればうれしいことだと思っています。

【東北での活躍】
前田さんに初めてお会いした時から、「ザ・営業マン」という印象を受けていましたので、今のお話は、失礼な言い方になったら申し訳ないのですが、正直のところ意外でしたし、目から鱗でもありますね。売ろう売ろうとしてはいけないというのはわかっていても、営業マンというのは売り込んでしまうものですね。
さて、話を進めていきたいと思いますが、入社の時には、北海道にいたわけですよね。仙台を拠点に起業されるわけですが、どのような経緯で仙台だったのですか。
さっきお話したように、1年目でトップセールスマンになることができたわけですが、翌年に、東北の業績がかなりよくないというので、北海道から私を含めて4人が送り込まれたわけなんですよ。当初は、応援派遣のような話で立て直して戻って来いということだったんですが、あれは完全に会社の目論見として、最初から転勤させるつもりの人事だったと感じてます。
「はめられた」と(笑)
(笑)そこまでは言いませんが・・・。ちょっと応援に行って来い、と言われて行ったわけですが、自分はなかなか戻されないわけなんですよ。1ヶ月くらい経ったら2人帰っていく。2人残されて、もう1人もしばらくして帰って行きました。僕だけが残されまして、北海道の上司に「ちょっと来い」と言われて、ある種の予感がしながら向かうわけです。だって「戻って来い」じゃなくて「ちょっと来い」ですから(笑)。行ってみると案の定「どうだ、東北でやってみる気はないか」と。
やってみる気はないか、と言いつつ「やってみろ」なんですよね。色々な対策が功を奏してどんどん業績もよくなってきていたし、この流れは面白いということも思っていたので「やらせていただきます」と。
最悪の状態から、見事建て直しをされたわけですね。
そうですね。あれはすごかったです。人生の中で、あの時ほど神がかって働いた時もないというくらいの印象です。そのまま東北の実質的な責任者になっていました。24歳くらいではなかったかと思います。北海道でのトップセールスマンという自負もありますし、相当生意気な存在だったかもわかりませんね(笑)。
経営の建て直しというのは、単に営業を強化するだけでは成し遂げることは難しいと思うんですよね。色々な取り組みをされたとおっしゃっていましたが、どんなことをされたんですか。
おっしゃるとおりです。当時僕らが来た時には教室が4つあって、色々と問題が起こっていました。あまり詳しくはお話できないんですけれども、一口で言うと管理が杜撰だったということです。お金の面でも人事の面でも。管理不在で、ミスも起こるし不正も起こる。スタッフの覇気がありませんから、生徒数は激減していく。そんな悪循環に陥った状態でした。僕らは来るまで実態はあまり聞かされてはいませんでした。あまりの状況に不安ではありましたが、やるしかない。やるしかないから一生懸命やった、ということですね。
山積みの課題を解決していったわけですね。
そうしたかったのですが、それは完全にはできませんでした。何しろ実力主義の会社で管理するというよりも、やっている人たちの能力に任せる主義でしたから。組織的にやっていくことを最初から目指し、積み上げていけばもっと素晴らしい結果になったのではないかと思います。それでも、26歳で独立させてもらうまでの2年間で4つだった教室を15に、100人だった生徒数を500人まで持って行くことができました。4人だったスタッフも最後は50人くらいになっていましたね。
【26歳で独立】
十分素晴らしい結果じゃないですか。教室で4倍、生徒数で5倍の急拡大です。社長からすると「前田君よくやってくれた」というところでしょうね。
そうは見てくれていたと思いますが、しかしそこは実力主義の会社です。そこから先の評価はそこが基準になるわけですからシビアですよ。1人のパワーでの限界に近いか、あるいは超えていたと思うのですが、踊り場に来ていたんですね。辞めた期の初めに生徒数を若干減らしてしまったんです。それまでの状況を考えれば、「高いところでの波で、踊り場である」というような見方をしてはくれず、下がると担当者を変えるというようなことは起こっていましたから、「自分でやった方がいいかもしれない」という気持ちが生まれたわけです。
なるほど。それで仙台から26歳でスタートする、ということになるわけですね。現在では、学習塾とサッカースクール、そしてベースボールスクールと、スポーツスクールにも進出されていますが、スタートは学習塾からだったわけですね。これは元いた会社と完全に競合ですね。
そのとおりです。しかし、スタッフは引き抜かない。生徒も持っていかない。という仁義は通しました。何と言ってもまだ弱冠26歳。経営者としての資質なし、理念なし、金無し。正直なところを言いますが、「金儲けがしたい」という一心でのスタートだったんです。
そうなんですか。今の前田社長からは想像もできないお話です。初めてお会いしたのも、どちらかというと金儲けよりも、理念や人への愛情や社会的意義を大切にしている企業の視察ツアーでしたし、そういう考え方の勉強会でも何度かお会いしています。そうですか、その頃は「金儲け」ですか。
そうなんですよ。何度聞かれても「金儲け」で始めたんですよ(笑)。これだけ働いて、ここまで自分でできるんだったら、独立してもやっていける。儲けた分は全部自分のものになる、とそう思って始めたわけですよ。
いやはや、いかにも「26歳」ですな(笑)。
今野さん、本当にそうなんですよ。26歳ですよね。今になってわかることも、その時にはわからないんですよ。実は、インタビューしていただいているこの場所が独立して初めての教室だったんですよ。正にこの場所なんです。事務所持つ余裕はありません。生徒集めは得意ですから(笑)、集まって来ます。1つ目の教室は順調にスタートするわけで、次の教室を作ろうと、ここを任せられる先生を雇いたいと思って求人を出すわけですね。そうすると応募者が来ます。ガラガラっとそこの扉を開けてくる。そして僕が説明をします。他に誰もいないわけですからね。説明が終わってシーンとする。最後に聞かれる。「他にどなたかいらっしゃるんですか」って。「いや、僕だけですよ」と。応募者の不安に負けているわけにはいかない。僕はもう勢いだけですから。「いや、将来、こういうふうにしていきたい」なんて、将来像を熱っぽく語るわけですよ。何となく、その人もその場ではその気になって「前向きに考えます」なんて言って帰って行くわけです。

これはいける、って感じなわけですね。
そう、「好感触」なんですよ。それでその人は家に帰って、親御さんに、「どうだった」と聞かれます。「熱い社長でよかったよ」って。そうすると「他に従業員の人は?」「いや、社長さんだけみたいだけど・・・・」となるわけです。「それで会社はいつ始まったの?」「今年の8月って聞いたけど・・・・」って。そこまでくると「そこ大丈夫なの?」の一言で、もうアウトですね(苦笑)。
それで、僕は意気揚々と次の日に電話をします。「いかがですか。決めてくれましたか」と、すると「ちょっと他に決まったので・・・・」という返事で終わりです。もちろん、塾はうちだけじゃないわけですから、他との競争です。でも3人くらい続くと、さすがにこれはおかしいなと思うわけです。
俺はこんなはずじゃないと。
そうです。あんなに頑張って結果を出していた自分がどうしたんだと。そこで気がつきます。前の会社で、自分の力であそこまで持っていったと自負していたけれども、僕の背景にやはり、会社というバックボーンがあったんだ、ということです。会社の看板があって仕事ができていたんだということに、しみじみ気づかされました。
出てみて初めてわかることの最大のものかもしれません。
本当にそうです。よくわかりました。今、会社勤めしている人は、看板のありがたさをよく考えたほうがいいですよ(笑)。しかし、独立した以上、後には引けません。諦めるわけにはいきませんから、失敗の山を築きながらも、何十人に1人かは一緒にやろうという奇特な方がいて(笑)、一緒に働いてくださって、生徒も集めることができ、教室を増やして、何とか学習塾は軌道に乗るわけなんです。
明るくおっしゃって下さってますが、起業の苦労がよくわかるエピソードです。看板、ブランドを一から作り上げることがどれだけ大変かは、やってみて初めてわかることです。
やり続けることも大切ですが、そこに独自性がなければブランドにはならないわけです。学習塾の後に、スポーツ教室に乗り出していったのは、御社の独自性ですね。
経営者略歴
株式会社ゼンシン 代表取締役
前田忠嗣氏 (Tadatsugu Maeda)
1969年10月29日生まれ
北海道出身
大学卒業と同時にそれまでアルバイトをしていた大手学習塾に勤務。翌年、東北地区責任者に就任。平成8年退職と同時に会社設立。株式会社ゼンシンの代表取締役に就任。主に小・中学生を対象とする学習塾の運営から、幼児・小学生を対象とするサッカースクールの運営をはじめ、現在はベースボールスクールの運営も始めている。他に大人や子供の生活習慣の矯正、絆を重視した経営手法、マーケティングを提唱する株式会社スリーストーンの代表取締役も務める。他、NPO法人国際スポーツ推進機構理事長も務める。
Company Data
| 社名 | 株式会社ゼンシン |
|---|---|
| 所在地 | 宮城県仙台市太白区西中田1丁目20番地7号 TEL (022)242-8260 FAX (022)242-8263 |
| 代表者 | 代表取締役 前田 忠嗣 |
| 設立 | 平成8年8月20日 |
| 業務内容 | 子供への教育を学習教育、運動教育にわけ両面からサポートし、総合教育を目指しています。 ●学習部門(宮城8教室、福島3教室) 「スタディールームベスト」 「算数数学専門教室」 「先生派遣のベスト」※教室併設 「ベスト英会話スクール」※教室併設 ●サッカースクール部門(http://www.ppds.jp/) 「PPDSコーチングサッカースクール」(宮城・福島・東京・千葉・茨城・埼玉) ●サッカースクール運営受託(http://www.avanzare-sc.com) 「アバンツァーレジュニアサッカークラブ」(宮城・福島・山形) ●野球スクール部門(http://www.front-baseball.com) 「フロントベースボールスクール」(東京、神奈川) |
| URL | http://www.studyroombest.jp/ |
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