語る 経営者インタビュー

2009.08.27 UPInterview Vol.112

株式会社八木澤商店 代表取締役 河野和義氏

本物と本質を追求する心を未来に伝えたい (前編Ⅰ)

200年の歴史ある岩手県陸前高田市、八木澤商店の河野和義社長のインタビューをお届けします。伝統製法、安心志向、地産池消と、三拍子そろった蔵元の八木澤商店の8代目社長の他に、農業人、全国太鼓フェスティバルの立役者、食の地元学の実践者、と数々の顔を持っていらっしゃいます。それぞれについてたっぷりとお聴きすることができました。色々な活動のお話の中に経営のヒントがたくさん含まれていると感じました。ぜひ最後までお読みください。

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【「八木澤商店8代目」河野和義】

八木澤商店は200年を超えられた老舗の蔵元ということで、どんなお話がお聴きできるか、非常に楽しみにやってまいりました。河野社長は8代目でいらっしゃるんですね。
 
そうです。7代目で会長であった父通義が、昨年他界いたしました。2007年に200周年を迎えました。1807年に醸造業を始めたのですが、当時は造り酒屋だったんです。第二次世界大戦まで、大船渡、陸前高田には8軒の造り酒屋があったんですが、戦時中国によって強引に合併させられてしまいました。8軒が一つの酒屋になって、酔仙酒造(すいせん)という酒造会社ができ、今も続いています。

父通義は、酔仙酒造の役員も務めていました。合併で、酒造は廃業となりましたが、大正年間にはじめていた味噌・醤油製造に専門特化することになったわけなんです。株式会社化したのが、昭和35年。父が代表取締役に就任しました。
 
「酔仙」という酒は、子供の頃からよく目にしていたんです。私の父は酒を飲みませんでしたが、父方も母方も祖父が酒飲みで、「酔仙」をよく飲んでいました。酔仙酒造にそういう歴史があったことを初めて知りました。
 
父が役員をしていたから言うんじゃありませんが、いい会社だったようです(笑)。酔仙酒造には魁の精神があったんですね。にごり酒も純米酒も日本で最初にやったのは酔仙酒造です。成田空港の免税店に初めて米焼酎を置いたのも酔仙酒造なんです。また「酔仙は安売りしない会社」と業界でも有名でした。非常に独自性、進取性のある酒造会社だったと思います。そんな父達の背中を僕も見ていたんです。合併によって立ち上がった当時の人達の結束力はすごいものがあったそうです。地域を守る結束力なんですね。

これは僕達も大いに見習わなくちゃいけない。昭和19年に8軒のライバル酒造同士が合併させられたわけですが、旧体制が残っていてはやりにくいからと、旧旦那衆が示し合わせて、全員一斉に引退を表明したんだそうです。「全て若いものに任せる」というわけです。

株式会社八木澤商店 河野和義社長インタビュー


素晴らしいお話ですね。なかなかそんな芸当はできるもんじゃないですね。むしろ居座って老害とまで言われても本人が気がつかないという例が多いんじゃないですかね。腹のくくり方の違いですよね。河野社長も9代目のご長男通洋(みちひろ)氏へのバトンタッチを順調に進められていると聞いています。その当たりのお話は、また後ほどお聞きしていきたいと思っています。
 
いえいえ、そんな立派なものじゃないですよ。色々葛藤しながら進めているというのがほんとのところです。ところで、酔仙酒造については、他にもエピソードがありましてね。

戦中の米不足の中で、それでもなんとか生産を続けたいという熱意から闇米を買わざるをえなくなったんだそうです。警察に摘発されて当時の経営者だった4人が逮捕されて、4人が別々の部屋で取り調べを受けました。4人が4人とも同じことを喋ったっていうんですね。

曰く「自分が全て独断でやったことで、他の3人は実は何も知らないんだ。だから解放してやってほしい」と。それを聞いた取調官はすっかり感服してしまったそうなんです。自分1人が逮捕されても他の3人が帰れれば会社は運営できる。会社を潰してはいけないという見事な結束力の証です。そんな話を聞いて育ってきました。
 
共同経営者の皆さんの中に、個人の保身の気持ちが一切なかったわけですね。河野社長が先ほど、酔仙酒造がいい会社だったという話をされた理由がよくわかりました。独自性と進取性溢れる商品展開と、経営者が結束力を持って、腹をくくって経営に臨んでいた。いい会社の大きな条件のひとつかもしれません。そんな先輩方の姿を見、そして話を聞いて河野社長は育ってきたわけですね。
 
そういうことです。非常にありがたい環境だったと思います。親や環境のありがたさというものは、後になってしみじみ感じるものなのかもしれません。僕が八木澤商店を継いでから色々な取り組みをしましたが、それらもそんな環境の中で受け継いできたものかもしれないと今思いますね。

父は自分に厳しく人には優しい人でした。そして商売熱心でしたね。会社を守る、地域を守ることへの熱意も強く感じていました。そのエネルギーは「怒り」です。受け継いでいるものと言えば、地域を脅かすものへの怒りはそれに当たるように思います。

昭和45年、ちょうど僕が結婚した年でもあったのでよく覚えているのですが。その頃、父は八木澤商店の社長ではありましたが、実際の経営は番頭さんに任せて、常勤の専務として酔仙酒造に行っていました。ある日の夕方いつもより早く帰ってきて言うのです。「今日は7人の酔仙酒造の役員達に迷惑をかけてはいかんから、辞表を出してきた。この八木澤商店の財産ももしかしたら食いつぶすかも知れん。その時はお前の女房子供は、自分の才覚で何とか養え。俺やお袋の面倒まで見てくれとは言わん」と。何をトチ狂ったことをと思いますよね。突然ですからね。ちょうど公害問題が出始めた頃でした。新全総、正確に言うと新全国総合計画と呼ばれるものですが、日本の重工業地帯の工場を地方の小さな町に貼り付けていこうとした時代だったんですね。県の開発構想で目の前の広田湾を工業団地にするために埋め立てるという計画が浮上しました。
 
昭和45年というと、私が小学校6年の頃です。そんな計画があったんですね。それが実行されていたら、今の広田湾はなかったわけですね。牡蠣やホタテ、ワカメの養殖など魚介類の宝庫で美しい湾ですよね。漁民の皆さんは当然強く反対したでしょうね。
 
陸前高田市は大揺れに揺れていました。猛反対する漁民を、多くの市民が支援したんですね。支援団体のひとつ「広田湾埋め立て開発に反対する会」の会長に父が就任して漁民と共に県に対して次々に質問状を提出し、反対運動を盛り上げていったわけです。しかし父は成功するとは思っていなかったようです。「自分が手伝ったからと言って、国が決め県が受け入れようとしているものは、反対しても負けると思う」「象にハツカネズミがかかっていくようなもんだけども、黙って許すわけにはいかない」と。ともかく相手は強大だったわけですから。

父の怒りは本物で活動もすさまじかったようですが、その父よりすごかったのは、父を育てた我々のおばあちゃんです。「あんたが正しいと思ってそうするなら、たとえ八木澤が潰れてもかまわん。正々堂々とやりなさい」と言ったそうなんです。父が辞表を出した酔仙酒造もまたすごい会社です。取締役会が開かれて「辞める必要は無い。何も世の中に悪いことをするわけじゃないんだ」と。当時常勤の専務取締役だったわけですが「非常勤の副社長にするから好きなように戦え」という裁定が下されたと。
 
おばあさんの言葉と取締役会の決定は、お父様にとっては、大きな勇気をもらう最高の後押しだったろうと思いますね。聞いているこちらも、まるでその場にいるように胸を揺さぶられます。
 
父は、勇気を得ただろうと思います。それはそれは強い圧力だったろうと思いますから。子どもの僕も「この通義のせがれが~」という言われ方をしましたから。父は言いました。「俺は今まで、酒を売ることに夢中になって全国を飛び回って、地元のことを考えてこなかった。この町に工業開発が来ることは悪いことではないが、同じやるのでもこの町にふさわしい開発の仕方があるはずだ。今の計画では日本百景とまで言われる高田松原も駄目になってしまう」と。さらに父は言っていました。「孫やひ孫に顔向けできない商売や町づくりをしたら、八木澤商店の終わりだ。この気候と風土があって、農業があって漁業があって、はじめてうちの商売が成り立っているんだ。公害だらけの町で、いくらいい醤油だ、いい味噌だ、いい酒だって言ったって、それを続けられるわけがない」と。
 
美しい広田湾も残っていますし、八木澤商店も続いているわけですから、お父様達の反対運動は成功したわけですね?
 
その通りです。結局、調査の杭一本打つことなく国の開発事業は棚上げになりました。父の活動へのエネルギーは今思い出してもすごいものでした。新幹線なんかまだないですから東京まで8時間以上かかる時代です。月に2回だか3回だか勉強に行ってくると言っては東京出張です。

後でわかったのですが、東京大学の課外講座の公害原論に通っていたらしいのです。理論武装にも意識を持っていたということです。ただただ反対していても駄目だと。計画の内容を理解する力をつけなくてはならないと考えていたようです。開発が止まったことで、陸前高田のバラ色の未来を無くした男というような言われ方をした時代もありましたが、今では子ども達も作文に「陸前高田の松原を将来に絶対残して欲しい」と書きます。昨年他界したと言いましたが、「高田を守った人だった」という内容の弔電や弔辞をあんなにたくさんいただくとは思っていませんでした。
 
商売には直接関係の無い物語のようですが、自分自身そんな父親の背中を見て育ってきて、地域のことを本心から考えなければ地域で商売はできないという考え方。そして地域を脅かすものへの「怒り」のようなものが、八木澤商店という会社の根っこの部分にあるように思います。

父の歩んできた道は常に信念に基づいていたように思います。私どもに残した3つの言葉は忘れられません。「同感できても、もう一度考えてみよ。同感できなくても、もう一度考えてみよ」「住民運動に関しては、自分は主役ではない。漁民の方々が主役で、その主役を黒子になって応援するだけだ」「この豊かな自然は孫子の代まできちんと渡さないといけない。豊かさの価値が変わる時代が必ず来る」これらの言葉を大切にしていきたいですね。

そうした「精神を受け継ぐ」ということが老舗の大きな価値のように感じました。御社のホームページに「受け継がれる心」というページがありまして、それがスタッフ紹介のページになっていることには感心させられました。実にいいですね。スタッフ紹介のページと社員のブログは、生き生きと働いている様子が伝わってきます。
 
(八木澤商店 会社ホームページ) 株式会社八木澤商店 河野和義社長インタビュー

ありがとうございます。みんな社員達のセンスですね。僕自身はパソコンだのインターネットは得意じゃないので手も足も出ないんですが、僕の考えていることや思いを理解して、上手に咀嚼してくれてます。色々なところに出てきている社長の言葉も元は皆社員達が文章を書いてくれています。自分は「よし、OK」と言うだけです。

日頃から僕が話している考え方やポリシーなどを社員達は実によく理解してくれているとわかりました。こういったホームページみたいなもので、新しいお客さんを見つけることも大事ですが、リピーターに丁寧にお応えしていくことも大事ですね。大変ありがたいことに、八木澤はリピーターの方が多いんですよ。インターネットを使い始める前から多くて、比較的ご高齢の方も多い。そんなことから、季節の挨拶状やニュースレターなどにも力を入れてるんですが、これらもみんな社員達が相談しながら、力を合わせて作ってくれてます。「素人ながら社長がきゅうりの植え付けを始めています」とか「今年もお米がおいしくできました」という内容もありますし、八木澤商店がどんな考え方で商品づくりをしているかといった会社のポリシーを表現したリーフレットのようなものも、皆社員のセンスです。

(社員作成のリーフレットをご紹介)
株式会社八木澤商店 河野和義社長インタビュー
今野さんが今、社員達が生き生きしていると話してくださいましたが、ほんとに元気に頑張ってくれてますよ。八木澤では、農業を嫌がる人は採用しないようにしてるんですね。面接で聞くんですね「農業もやってもらいますが大丈夫ですか」って。食の根源は農業です。命の源の食の産業の一端を預かる我々が農業に触れていなければ話にならない。だから社員は入社した瞬間に「さあ、今日は田植えだ」「田の草を取りに行こう」です。普通嫌がりますよね。特に今の若い人たちはそうです。しかし皆最初は「えーっ」とびっくりしながらも進んでやります。その様子は写真に収めてホームページにもブログにも載せてますが、実に楽しい顔で写ってます。僕が何も言わなくても皆自分から仕事を楽しんでくれている。ありがたい社員達です。それから八木澤の風土を作っているのは、試食も兼ねての皆で食べる昼食、まかないですな。食堂の大テーブルで全員で輪になって賑やかに食べてます。

(食堂での至福のひと時) 株式会社八木澤商店 河野和義社長インタビュー
ホームページにも、お昼ごはんのページが設けてありましたね。その時間をとても大事にされていることがわかりました。さて、徐々にご商売の話に移っていきたいと思います。ここに食の雑誌dancyuの創刊200号の記念別冊がありますが、日本の発酵食特集で、八木澤商店が取り上げられているようですね。醤油、味噌、酢、みりん、納豆など11種類の発酵食品の製造元が取り上げられてるようですが、醤油が八木澤さんなんですね。
 
はい、6ページに渡って八木澤の醤油作りを紹介していただきました。記事には醸造元は全国に1400社ほどあると書かれていますが、本当は1600社。何かの都合で間違えちゃったんでしょうけどね。20年前は3000社ほどあったと言いますから、この間に半分くらいに減ってしまったということです。

キッコーマンやヤマサなど、大手の超有名企業がある中でうちを載せていただいたことは、本物として認めてくださっているのかと思います。発酵食品というのは本物であれば立派な健康食品です。発酵食品で体に悪いものなどないのです。ところが、あまりに安いものを求める消費者が多過ぎる。作りを簡便にして安上がりに作ろうとする。本当の発酵食品というのは少なくなってきてしまっているんです。意地になって「本物の発酵食品を作ろう」と続けてきたら、この雑誌のように注目していただけるようになってきました。

僕が八木澤商店を継いだ当時、味噌や醤油は正に安売り競争の真っただ中だったんです。同じ土俵で大手に対抗しても規模の経済がありますから太刀打ちできるはずがありません。これはおかしいと感じていました。僕が物心ついた頃、当たり前に地元の大豆と当たり前に地元の小麦で、しかも1年以上かけて作っていました。とにかく手間をかけていたんです。夜中でも麹室の手入れをしなくてはならないので、常に5~6人の若い衆が寝泊りして作りこんでいた時代です。働いてくれている人たちは、八木澤で3食ご飯を食べるのが当たり前だと思っていましたから。

(「dancyu」にて掲載)
株式会社八木澤商店 河野和義社長インタビュー
家族経営ですね。
 
そうです、そうです。正に家族同然ですよ。そんなことが当たり前だったんですが、いつの間にかアメリカから脱脂大豆というものが入ってきたわけです。脱脂大豆というのは油を搾った後のカスを使うということです。アメリカにとっては、大豆という穀物は植物油を搾るだけの穀物だったんです。納豆も、味噌も醤油も豆腐もないわけですからね(笑)。

搾って残ったカスは牛の餌にしていたらしいんですが、それでも余ってしまっていて、これを有効活用できないかと合理的な国は考えるわけです。戦後アメリカは、日本には醤油というものがある、これを醤油に使わせようと考えたんですね。半強制的に押し付けられたのが脱脂大豆だったんです。使ってみたらこれが楽な代物だった。原料が安価で丸豆と丸小麦で作るより時間が大幅に短縮できると。こういう起源ですから、今の脱脂大豆を使った醤油は全部外国産なわけです。
 
なるほど。短時間に大量に作れるようになると、だいたい価格競争に陥るわけですよね。そこから安売り競争が始まるわけですね。そうなると八木澤商店としてもそのままというわけにはいかなかったでしょうね。
 
そうなんですよ。八木澤も脱脂大豆で簡便に作る道に足を踏み入れます。どんなに長くても半年で作れます。大体4~5ヶ月でできるんですね。それでスーパーの安売り合戦の真っただ中に立つことになるわけです。いかに簡便に作るか、外国産の脱脂大豆を使っていかに安く作るかだけを考えるように業界全体がなっていったわけです。

最初はこれも時代の流れだししょうがないんだ、と受け止めていたんですが、やっていくうちに疑問がムクムクと頭をもたげ始めました。こんな醤油作っていたって、大企業と不毛な価格競争していたって負けるに決まっていると。安売り競争というのは本当に不毛です。自分で自分の首を絞めながら商売しているようなものなんですから。それである日一念発起しました。子どもの頃から見ていて、古式製法も覚えていたので、それを復活させて昔ながらの醤油づくりをしようと考えたんです。丸大豆醤油づくりです。真っ先に反対したのは当時の工場長でした。
 
反対するのも当然かもしれませんね。作り方も簡便で、早くできて、たくさん売ることができるものを何で昔に戻さなくちゃいけないんだと思っても不思議はありませんものね。
 
僕は工場長に言いました。「売るために作るのではない。昔ながらの技術で作らなかったら、技術が後の代に残らなくなってしまう。いいものができたら、それは贈答品にするから」と。工場長は理解してくれて、今度は僕がそこまでしなくていいよ、と言わなくてはならないほどにこだわりをみせてくれました。職人魂というのは素晴らしいものです。しかし簡単ではありませんでした。岩手産のいい大豆を探すところから始めなくてはなりませんでしたから。

最初はそれほどの量ができなかったので何とか調達できたのですが、何しろ時間がかかる。2年かかった諸味を、圧力をあまりかけないで搾るんです。しずくのように垂らす気の長い製法です。普通の脱脂大豆醤油のものは80トンの力で圧搾するのに対して、古式製法では15キロ程度の圧力です。当時1日に720ミリ、四合瓶でせいぜい70~80本しか出てこない。これは超異常の世界なんです。だって、設備は一升瓶で2000本も搾れる機械も持っているんですよ。脱脂大豆醤油もちゃんと作っているんですからね。その2年ものの丸大豆醤油は、値段にすると一升3000円くらいの醤油になってしまいます。当時一方の脱脂大豆醤油は一升500円くらいの時ですから、勝負になりません。

(昔ながらの醤油作り) 株式会社八木澤商店 河野和義社長インタビュー
そんなに違うんですか。6倍も・・・。贈答品にするためという大義名分だったわけですから、こりゃ、ちょっとした道楽ですね。失礼な言い方かもしれませんが。
 
いえいえ、今野さん。失礼も何も、その時点ではホント道楽ですよ。実際、父親に「道楽しちゃったよ」と素直に謝まったんですけどね、そうすると父親が言うんです。「今、男の散髪代はいくらしてる?」と。「2,000円から3,000円だ」って言うと「じゃあ、お前まともなことしたんだよ」と。さっき僕が物心ついた時の話をしましたね。当たり前に地元の大豆と小麦で、しかも1年以上かけて手間をかけて作っていたと。農家と直接交渉して出来栄えのいい大豆を分けていただいて、そこで相対で値段を決めて我々が作ったものを地元の人に使っていただく流れがあったわけなんですが「その頃は醤油一升と男の散髪代は一緒でそれが当たり前だったんだよ。だからお前はまともなことをしたんだ」ということだったんです。それが今の看板商品のひとつになっているわけなんです。2年物の生揚(きあげ)醤油がそれです。
 
伝統を残すためなんだ、と工場長を説得した伝統製法の復活が、看板商品を生んだわけですね。本物の商品が認められたということですね。
 
そうです。25年経った今、この商品が今うちの機関車ですから。今野さんの言うように商品として認められたということは間違いないんですが、それだけじゃなく、商売は人間対人間で成り立っているでしょう。八木澤の取り組みに共感してくださったお客様にほんと感謝ですね。こういう取り組みへの共感や、こういうものを作っている町に行ってみたいと来てくださって、高田のファンになってくださる。そして、一生のお付き合いをしてくださる。そういう関係ができれば、これは我々にとっては本当に宝だと思うのです。高いとか安いとは別の世界がそこに生まれているのだと思います。
 
今のお話から、実に刺激をいただきました。世の中では、高いか安いかで議論がされ、価格戦略とかコスト戦略という言葉も飛び交っています。コンセプトの価値や、人間関係の価値や、物語の価値や、本物の価値などを低価格が上回っている時代のような気がします。今日は私も一人の経営者として、忘れてはいけないものを学ばせていただいているように思います。さて、ここまでのお話で、八木澤商店の歴史、河野社長が先代から受け継いできたもの、蘇らせた伝統製法の復活、お客様とは一生のお付き合いをするというお話など、正に200年の老舗の重みというものを随所に感じさせていただきました。9代目の専務通洋氏にバトンを渡していかれている最中とお聞きしましたが、社長としてはそうした伝統の継承の期待は大きいでしょうね。
 
父親は、店を「家業」と位置づけ、社員のことを使用人と言っていました。僕は「親父古すぎるよ。これからは企業、そしてそこで働く人は従業員だよ」と言いました。しかし、9代目はさらに進んで、同じ企業でも「従業員という“業に従う”という言葉はおかしい。社員はパートナーじゃないか」と言う。厳しい状況がやってきても全員が心をひとつにして乗り越えていくことが必要だ」と言ってます。父親に「企業そして従業員だ」などと言っていた自分は、実は「家業」「使用人」という考えから抜け切れてはいなかったのかもしれない。

今は、専務の9代目にほとんど任せるようになっている。任せたら、話し合うことも多くなり、言葉で伝えることも多くなった。一番の違いは企業理念というものができたことです。専務と若い社員達が、この地域のために八木澤商店がどんな存在であるべきなのかを話し合って作り上げたものです。僕は一言も口を出していない。最初はそんな建前みたいなことで経営ができるか、というので散々喧嘩もしていたのですが、この頃は喧嘩も減りました。専務の言うことのほうがもっともだと思うことが多くなったからです。色々な経営者の団体などにも出て行ってよく勉強している。最初はそれをすべてと思い過ぎてか、走りすぎたり頭でっかちのところも見えてたんですがね。今は、言っているだけじゃなくてとにかく働いてますから。言ってみれば虚業じゃなくて実業やってますんでね。そういう僕の父親からは「虚業と実業と言うが、お前は虚業が多過ぎる」という言われ方をしたものです。そう言いながら父親は僕にほとんどガタガタは言わなかった。そういう面も継承していかないといかんかなと思ってます。

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経営者略歴

株式会社八木澤商店 代表取締役
河野和義氏 (Kazuyoshi Kohno) 

1944年 岩手県陸前高田市生まれ。
立教大学法学部卒業後、家業である味噌・醤油醸造業を営む老舗「八木澤商店」に入社。

Company Data

社名 株式会社八木澤商店
所在地 〒029-2204
岩手県陸前高田市気仙町字町110
TEL:0192-55-3261
代表者 代表取締役 河野和義
設立 1807年
業務内容 醤油・味噌・つゆ・たれ・漬物製造販売業

【主要製品】
醤油・・・生揚醤油、いわて丸むらさき
味噌・・・壱番蔵味噌、味噌職人、気仙味噌
つゆたれ・・・味付けポン酢柚子、ナムルジャン、焼き肉のたれ
漬物・・・白菜醤油味 しそ巻ききゅうり やません漬け、わらびっこと茎っこ 陸前漬け、ぬか包みむかしたくわん
URL http://www.yagisawa-s.co.jp/index.html

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