語る 経営者インタビュー

2009.09.17 UPInterview Vol.112

株式会社八木澤商店 代表取締役 河野和義氏

本物と本質を追求する心を未来に伝えたい (後編Ⅱ)

200年の歴史ある岩手県陸前高田市、八木澤商店の河野和義社長のインタビューをお届けします。伝統製法、安心志向、地産池消と、三拍子そろった蔵元の八木澤商店の8代目社長の他に、農業人、全国太鼓フェスティバルの立役者、食の地元学の実践者、と数々の顔を持っていらっしゃいます。それぞれについてたっぷりとお聴きすることができました。色々な活動のお話の中に経営のヒントがたくさん含まれていると感じました。ぜひ最後までお読みください。

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【「地元学実践者」河野和義】
 
平成7年に、太鼓フェスティバルで国から賞を受けました。その年、地域おこしの最優秀賞が秋田のわらび座。その次の賞が僕たちだったんですね。秋田と岩手と東北勢で1位、2位を独占したと話題になりました。

自治省の全国大会でのことなんですが、その場所が水俣だったんです。せっかく水俣まで来たんだし、賞状もらって帰るだけじゃもったいないと思って、水俣病資料館を見学に行きまして、大きなショックを受けました。病という字がついているので、奇病や伝染病のように誤解も受けるわけですが、食物でなったわけですから全然違うんですよね。チッソという会社が、昭和30年代の初めのころから、プラスチック製品をやわらかくするアセトアルデヒドを製造する段階で、この地球上にないものを化学変化で生み出してしまった。それがメチル水銀です。害があると知らなかったのか、海水で薄めればいいって思ったのかそこんところは知らないけれども、それを垂れ流しちゃって、それを小魚が食い、小魚をもっと大きい魚が食い、蓄積していったものを人間が食うことになってしまった。

正直のところ、気持ち悪いと思いながら行ったんですね。そしたら何と、水俣病患者の語り部がしゃべっていたわけです。「私たちの人間関係がズタズタになった。物は売ってくれない。鬼畜の扱いで、物を買いに行ったって、シッシッと追いたてられる」。漁師などの、水俣病以外の人からは、お前らのおかげで水俣がめちゃくちゃになったと言われて、それでひどい目に遭ったこと等を訥々としゃべるんですよ。僕は引き込まれてしまって、一番前でへたり込んで聞いた。もう涙がボロボロ流れるのを止めないで聞いていた。そしたら、「一番前のあんた、どこから来たと?」と聞くので「岩手県です」「ああ、岩手はよかね」と言うから、「そうです。いいところです」「あの三陸海岸はすごい。茨城、福島、宮城、飛んで青森と原発があるのに、原発一つ入れさせなかった岩手の海はすごい」と言ったんです。僕はそこで言われるまで、それに気がついていなかったので衝撃を受けました。

株式会社八木澤商店 河野和義社長インタビュー
私は、今の社長の話しに引き込まれてしまっていました(笑)。へたり込みはしませんでしたが(笑)。私も岩手県生まれですが、気がついていませんでしたね。
 
言われれば、そうだと思いますよね。そんな話から親しくなりまして、その晩、水俣では魚に感謝する日で「元チッソの社員も農協の職員も漁協の職員も来て、今日、うちで飲み会をするから、もしよかったら、あんた、おいでよ」と誘っていただいて、その語り部の人の家に行くことになったわけす。

飲んでいる皆さんの中に入って、昼の続きを聞くようなことになりました。「いじめられていたあの頃私が大嫌いだったものは二つある」と言います。何かを問うと、「学校の運動会と遠足」と。「両方給食が無い日で弁当作らなきゃいかんのよ。うちらにとって、弁当を作らなきゃいけないという日は地獄よ」と言う。「うちの最高のごちそうが塩むすびなんだけれども、ところが、結べんのよ、手が痛くて。この節々が痛くて。で、何とかおにぎりの格好にして必死の思いで持っていったんだ」と。さらに「あんた、人生の中で、一番悲しいことと一番うれしいことを同時に味わったことがあるかい?」と聞くんですよ。そのおにぎりの話なんです。「子どもたちが目を丸くして“母ちゃん、このおにぎり、
人で一つ食っていいか?”と言うから、“よか、よか”って。で、“いただきます”と食べようとしたら、ボロッと崩れて、おにぎりじゃなくなったんだよ。そのときぐらい、水俣病を恨んだことはない。むすび一つ結べない母親。で、悲しいと思ったら、子どもたちが両手で、一粒残らず、そのバラバラになったおにぎりを食って、“母ちゃん、このむすびば、世界一うまかとよ”と言った」と。それで、母ちゃんは子どもたちを思わず抱き締めて、「母ちゃん、世界一幸せな母ちゃんたい」と言った、って言うんです。
 
切ないです。体験者にしか分からない悲話ですね。水俣の問題もありますが、そもそも我々は、食べられるありがたさというものをもっと考えなくてはいかんですね。
 
ほんとにそうですね。それで、その母ちゃんが、何で「いただきます」と言うか、知っちょるかいと聞くんですね。わからなかったから「普段習慣的に使っていますからね」と言ったら、「食い物は全部、元は命のあったものなのよ。野菜でも、魚でも、肉でも、何でも。『その命をいただかせていただきます』ということなの。食は命なのよ」と言う。水俣に行って、根源的なことを教わって帰ってきたんです。「最近は、とにかく何かやってもらったりなんかしたら、『ありがとう、ありがとう』と言うんだ」と。「最近の日本は、『ありがとう』という言葉が少な過ぎる」とも言っていました。さらに「私は、胸を張って言えるけど、いくら頑張っても人様と過去は変えられん。自分さえ変われば、考え方ひとつで、何ぼでも明日は幸せな気がするんよ」と。その言葉をもらいました。水俣に旅したそのあたりは、ちょうど一番商売に悩んでいた頃だったんです。とにかく売れなかった。凝るだけ凝ったら、高すぎて売れなかったんです。水俣の旅が僕を変えてくれたと言ってもいいと思います。
 
地域おこしの受賞式の旅が、ご商売の大きなきっかけを掴んだ旅でもあったわけですね。
 
僕にとっては、本当に方向転換になる旅でした。さらにその方が言ったんです。「昔は魚がいるだけ捕った。今はある程度捕ったら、『今日の分はよか』と帰ってくる。そうすれば、毎日ある程度の大漁にさせてくれる。無理して捕ると続かないんだ」と。そして「漁がないときは、甘夏を作って、農業もやっている。いろんな野菜も作り出した。水俣病でこんな目に遭ったから、私らは絶対農薬を使わない」と。

あるものを生かし、ないものは地道に地元で作っていこうとするということです。水俣というと「海」のイメージが強いですが、非常に優れた農業をしている地域でもあるんですね。今、僕は「地元学」という言葉を使っていて、もちろん非常勤ですが大学でも講義をするようになりました。この「地元学」という考え方にたどり着いたのも水俣のおかげだと思っています。その語り部の方は杉本さんとおっしゃいました。

去年、僕の父親と同じ年にその方が亡くなりました。すごい偶然というものはあるものです。さっき、父親が工業誘致の反対運動をして公害原論を習いに行ったと言ったでしょう。その一環で昭和50年代の初めに水俣を訪ねていったらしいんですね。それで僕が参加した飲み会に、当時の水俣の市役所の環境課長の吉本哲郎という人がいました。その人が「おれ、
1人だけ、岩手に河野さんという、知っている人がいるんだが、あんた、何か関係あるかい?」と言うので「それはおれの父親だ」と言ったら「失礼しました」と、それから態度がガラリ変わったんです。聞いてみると、当時は同情するふりをして、たくさんの人が入り込んで、結局マスコミの取材だったり、物見遊山の人ばっかりだった中で、水俣の本来の姿を知ろうと熱心な父親が印象に残ったと言うのです。
 
時空を超えた人の縁ですね。それにしても、その飲み会は実に様々な方が集われていたんですね。
 
水俣病患者と行政とは仲が悪いだろうと思っていたので、吉本さんのような存在は驚きでした。職業や立場を超え、地域づくりの活動をする人たちがいることを知りました。これこそが「住民一体」です。

不幸な歴史を乗り越えて、今、本当にいろんな人たちが注目して、水俣の町を見直しています。「こんないいところがあるじゃないか。こんなおいしいものがあるじゃないか」というわけです。無いものねだりをするのではなく、あるもの探しをすること。そして地元のよさを強化していくこと。個性を自覚していくこと。それが、水俣地元学だと。

そういうことを吉本さんに教えてもらい、陸前高田でもそれができないかと考えて、半年後に活動を始めました。その活動が、平成
10年からの岩手県の総合発展計画の骨子に発展したんです。ですから、岩手県の地元学は、県のレベルに広げたという意味では、全国の県で一番早かったと自負してます。
 
先ほど、水俣の旅が自分を変えたとおっしゃいました。地元学との出会いも、河野社長にとって非常に大きな出来事だったことがわかりました。地元学という言葉を学んだことはお話をお聞きした私にとっても有意義なことでした。ありがとうございます。地元学はもっともっと磨いていきたいと感じました。
 
そうですね。実践を積み重ねていきたいと思います。学問のような名前になっていますが、要は実践です。地元の売り物と個性を磨いていくことを、楽しく実践していく。地元学の「学」は、楽しいの「楽」でもあるんだと思います。今、岩手大学で、地元学の講師をして、若い人たちに話をしています。それに対して、専務は「もう好きなようにしろ」と。「親父、商売しなくていいから」と言ってくれています。年に1回ですが、東北大学の農学部の1年生にも話をさせてもらっています。
 
自ら実践している社長から、若い人たちが直接学んで、将来の担い手になっていく。この素晴らしい流れに大きな可能性を感じます。とてもワクワクした気持ちになります。
 
そう言っていただけると、僕もとても心強く思います。ぜひ今野さんのような経営者にも参加していただいて、地元学(楽)を、そしてこの地元を盛り上げていきたいと思います。今野さん、ぜひ力を貸してください。

私は、経済は三つ考えられると言っています。昔は、三つの経済がちゃんとあったのです。「貨幣経済」と、それから結いとか講などのみんなで金を出し合って楽しもうという「助け合いの経済」、それからもう一つは「自給自足の経済」です。昔ながらの物々交換のような考え方を含めて、いい人間関係がなければこれらは成り立たないです。うたぐりの経済だったら成り立たないんです。ところが今は、全部貨幣経済になってしまった。世の中全体が、お金しか信用しなくなっているということです。
 
なるほど、助け合いの経済と自給自足の経済は、地元学の考え方と相通ずるものを感じられる考え方のように思いました。世の中全体が、大切なものを忘れているということですね。
 
そう思います。日本は、実は、この三つの経済があったから戦後の立ち直りが早かったのだと思います。それを忘れてしまっている。政治家も学者もです。そう思いませんか。先日の講演でもしゃべらせてもらいました。経営者の集まり、商売をやっている人の集まりです。講演では、「こんにちは」の出だしの後いきなり、「今日もし、おれの話を金もうけをするならどうしたらいいかどうか、この不況を乗り越えるにはどうしたらいいかということを聴くつもりで来た人は帰ってください」と。自分自身、儲けるということに関しては、誠に下手くそだと思います。
 
儲けることに長けている人こそが、助け合いの経済と、自給自足の経済を忘れていってしまうという関係にあるのかもしれませんね。何を隠そう私もどちらかというと下手くそだと思いますから、とても意を強くしました(笑)。
 
 
【「人間」河野和義】
 
八木澤商店の「社長日記」を拝見しました。その中の2008年10月17日「WHAT A WONDERFUL WORLD!」には、心を揺さぶられました。病気を押して八木澤商店の200周年記念祝賀会で歌った三崎ともやす氏と、その死を悼む河野社長の友情がしみじみと感じられる日記でした。それを読んで私は「人間」河野和義を感じました。

株式会社八木澤商店 河野和義社長インタビュー

そこまで読んでくださっていたんですね。ありがたく思います。三崎ともやす。彼は死んでしまいました。誠に残念です。大学生の時に、ウエスタンミュージックが好きで、ウエスタンのバンドのクラブに入りました。僕が1年のときの4年生だった東理夫さんという人は、今、小説家になっているのだけど、その人が卒業したら、メインシンガーがジミー時田さんというプロのバンドからスカウトされて、セカンドシンガーになったんですね。僕たちは学生で金がないから、生バンドが入っているジャズ喫茶の隅っこでコーヒーを飲みながら、たまにビールを飲みながら、粘るわけです。時々、楽屋に呼ばれて、「歌ってみろ」って言われて、もうカチンカチンになって歌ったりなんかしていて、そんな仲間だったんです。そのときのジミーさんのバンドのベースは、今野さんも知っている人なんですよ。誰だと思いますか。
 
ひょっとして、いかりや長介さんじゃないですか。
 
そのとおりです。さすが音楽をやっている今野さん。よくご存知でしたね。
 
いえいえ、今までの何度かのクイズでは外し続けてましたからね。
ようやく正解できてよかったですよ(笑)。
 
リードギターが寺内タケシさんというすごいバンドだったんですよね。で、いかりや長介さんがドリフに移ってから、その後にベースマンで入った男が、岩手の東和町のお寺の娘と一緒になって、今、東和の駅前で喫茶店をやっているんです。だいぶ後になって再会することになりました。
 
人の縁というのは、ほんとに不思議です。回り回って皆つながっていくんですね。
 
そうですね。その不思議があるから人生の彩りがあるんですよね。さっき今野さんは「人間」と言ってくださいましたが、それは恐れ多いことですが、真にそう言っていただけるように生きていきたいと思っています。あまりにも今、人の付き合いを、本物の付き合いをしていない人が多過ぎるように思います。肩書きで人と付き合うからじゃないか。肩書きか損得だけで付き合っている人が多過ぎる。昔は違ったんです。みんなが同じぐらい貧乏だったから、助け合いは当たり前で、豊かになってきたら、おせっかいを必要としない。だから、おせっかいが嫌な人間の代名詞になってきたんだと思います。義理とか人情はやくざの言葉になってしまいました。本当にそうなの。昔は、人の家に土足でズカズカと上がってくるような近所付き合いをしていたわけだから。でも、もしかすると、それが日本人の美徳なんじゃないかと。そこを気が付かせようと考えて、26年間、ある男が一生懸命あるものを作ったの。さて、それは何だかわかりますか?
 
またまたクイズですか。河野社長、音楽芸能分野はまかせてくださいよ(笑)。わかりました。映画の「フーテンの寅さん」ですよね。
 
そうです、そうです。寅さんなんですよ。あの映画のテーマは「義理と人情」そして「おせっかい、お人好し」です。ほんと日本人のよさを思い出させてくれる映画です。今野さん、寅さんを観ましょうよ(笑)。あの映画は日本人の教科書ですよ。これも「縁」という話しなんですがね。八木澤商店が、あのNHKの「きょうの料理」にも載ったことがあったんですが、それを読んで、ある初老の女の人が、「醤油を造るところを見せてください」と息子さんと一緒に訪ねて来られた。で、いろんな話をしていて、たまたま人の縁とか義理と人情、おせっかいが大事だという話しで映画の寅さんの話をすると、急にその方がボロボロ泣き出したんです。そして「私、斎藤寅次郎の娘でございます」と言いました。松竹の有名な喜劇の映画監督で斎藤寅次郎さんという人がいたんですね。その助監督が山田洋次さんだった。山田洋次さんが寅さんの企画を温めていて、監督になったときに、その斎藤寅次郎監督のところに行って、「寅次郎という名前を下さい。今度の作品の主役の名前にします。車寅次郎にします」と断りを入れたわけです。その斎藤寅次郎監督の娘さんとその息子さんが、なんと八木澤商店を訪ねてくださった。ほんとにこれは縁としか言いようがありません。今野さん、寅さんシリーズ観ましょう。
 
【河野和義の「大切なこと」】
 
河野社長、長時間に渡るインタビュー、誠にありがとうございました。
色々な方向のお話から、たくさんの学びと気づきをいただいて、私自身も有意義でしたし、恐らく読者の皆さんにも、ヒントにしていただけることが多いと信じております。
 
こちらこそ、機会をいただいてありがとうございました。これを読んでくださっている皆さんには、ぜひ一度陸前高田にお越しいただけるとうれしいと思います。お会いできるのを楽しみにしております。
 
社長、MG-NET+(マグネットプラス)にインタビューを掲載する際には、最後に今日いただいた、夏の栞2009「さあ、田舎へ遊びに行こう」というリーフレットの最後の店主挨拶を掲載して終わらせていただこうと思いますがよろしいでしょうか。これは素晴らしい一遍の詩になっていると思います。本当に大切にしたいと思えることが書いてありました。
 
ええ、どうぞどうぞ、ぜひ載せてください。最初の頃に申し上げましたが、これは日頃僕が言っていることを社員たちがまとめてくれたものです。社員たちが僕の「大切にしていること」を、こうして理解してくれていることも僕の大きな誇りです。
 
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『大切なこと』
 
みんなが笑っていられること。
夢中になれるものがあること。
「ありがとう」が素直に言えること。
子どもたちがいのちをいただくことの大切さを知ること。
お天道様にはかなわないことを体で感じること。
命あるものをそだてるのには
いっぱいの時間と愛情をかけること。
「いただきます」と手をあわせられるようになること。
家族で食卓を囲むこと。
心配りができること。
おじいちゃん、おばあちゃんを大切にすること。
子どもたちをいっぱいほめてあげること。
両手いっぱいひろげて
ぎゅうっと抱きしめてあげること。
「どうしてなんだろう?」がいっぱいあって、
それが少しずつでもわかるようになること。
おとなになって
「これがわたし」と言えるようになること。
 
愛する人たちに、恥ずかしがらずに
「愛しているよ」と表現ができること。
陸前高田には美味しいものがいっぱいあることを
みなさまにお伝えすること。
お客さまが「おいしい」と言ってくださる商品を
つくりつづけること。
みなさまが健康でいられること。
 
そして、
みなさまが幸せであること。
 
                        店主 河野和義
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株式会社八木澤商店 河野和義社長インタビュー
         写真左は、今野日登美氏。今野誠一の実弟です。
         彼の娘さん(今野誠一の姪)が、八木澤商店さんに就職したご縁もあって、
         今日の対談のセッティングを日登美氏がしてくれました。


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経営者略歴

株式会社八木澤商店 代表取締役
河野和義氏 (Kazuyoshi Kohno) 

1944年 岩手県陸前高田市生まれ。
立教大学法学部卒業後、家業である味噌・醤油醸造業を営む老舗「八木澤商店」に入社。

Company Data

社名 株式会社八木澤商店
所在地 〒029-2204
岩手県陸前高田市気仙町字町110
TEL:0192-55-3261
代表者 代表取締役 河野和義
設立 1807年
業務内容 醤油・味噌・つゆ・たれ・漬物製造販売業

【主要製品】
醤油・・・生揚醤油、いわて丸むらさき
味噌・・・壱番蔵味噌、味噌職人、気仙味噌
つゆたれ・・・味付けポン酢柚子、ナムルジャン、焼き肉のたれ
漬物・・・白菜醤油味 しそ巻ききゅうり やません漬け、わらびっこと茎っこ 陸前漬け、ぬか包みむかしたくわん
URL http://www.yagisawa-s.co.jp/index.html

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