(1)自分の力ではなく、ブランドと商品力
(2)苦労して成長しながら幸せをつかむ
(3)組織の原点は、『競争と協調』 このバランスがとても大事。
| 就職エージェント株式会社 | |
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| 所 在 地: |
〒160-0023 東京都新宿区西新宿1-22-2 新宿サンエービル8階 TEL:03-5324-2333(代) |
| 事業内容: |
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| U R L: | http://www.s-agent.co.jp/index.html |
記念すべき100人目の今回の鬼才異彩は、就職エージェント株式会社 代表取締役社長 下薗博康氏のインタビューをお届けいたします。同社は、若者と企業の成長を前提とした雇用関係の創造をビジョンとしています。業務内容は、新卒・第二新卒の紹介サービスやそれをベースとした採用コンサルティング、アウトソーシングを行っています。前編では、学生時代の話から社長就任するまでの過程をお話いただきました。
オフィスにおじゃまするたびに、若者達がつめかけています。すごく熱気を感じますね。
若者達の就職支援が下薗さんの仕事ということですが、下薗さんご自身はどんな学生時代を送られましたか?
就職支援などと偉そうに言っていながら、正直なところ、自分自身の学生時代は、かなり自由気ままでしたね(笑)。バイト三昧の日々でした。仕事は今も大好きなんですが(笑)、当時から働くことが嫌いじゃなかったんですよね。バイトで楽しく稼いで、おいしいもの食べて、いいもの着て、デートして・・・と。学生時代を通じて、ほとんど途切らすことなくバイトをしていました。
うれしそうに話されますねえ。よっぽど楽しい学生時代だったようですね(笑)。色々なバイトをされたんでしょうが、印象に残っているものをいくつか教えてくれませんか。
普通に居酒屋などのバイトもやりましたが、変わったものでは、3枚1000円のハンカチをワゴンセールとして、あちこちに行って売るという仕事をしていました。主要ターミナル駅構内などにダンボールごと出して陳列して売る、行商、無店舗販売です。「はい、いらっしゃい」みたいな感じで・・・。一番売れた場所はどこだと思います?渋谷のスクランブル交差点なんですよ。売れるところには頻繁に行くようになりますから、一番多くいた場所だったと思います。自分なりに売り方をアレンジしたり、セールストークの研究をするのが楽しかったですね。スクランブル交差点にいると、必ずと言っていいほど道を聞かれるわけなんですが、道を説明して終わりではなく、その人たちにハンカチを売ってみるんです。場所的に外国人の方も多かったのですが、そういう方達にも結構売りましたね。
下薗社長、売れそうですもんね(笑)。創意工夫していた様子が伝わって来ますし、道を教えがてらハンカチを売るという攻撃的な姿勢が素晴らしいですね(笑)。次の仕事のお話を聞くのが楽しみになってきました。
池袋のパブに面接へ行ったことがあるんですね。すると「楽器はできるか?パントマイムは?」と聞かれるわけなんです。芸人やアーティストの卵が運営するお店とは知らず、何も芸がないのに受けにいってしまった(笑)。「何もできません」と伝えると、「じゃあ歌は歌えるか」と聞かれ、「カラオケだったら大丈夫です」と。じゃあ、こっちのお店においでと言われて、系列のショーパブに連れて行かれました。結局歌は面接時に歌っただけで、その後はお客様のお相手をすることになっちゃったんですがね(笑)。そこには1週間だけいました。1週間以上いたら、人生が狂うと思って、泣く泣く辞めましたね。
泣く泣くなんですね?よっぽど楽しかったということですね(笑)。歯車によっては、芸人としての下薗さんが誕生していたかもしれなかったわけですね。もっともっとバイト時代の話を聞いていたいんですが、先に進まないとこれだけで終わってしまいそうですので・・。
それにしても、バイト三昧のエピソードは、下薗さんの対応力のようなものを感じさせますね。
楽器や芸などできなかったものの、自分では、多種多様な販売業、接客業を経験してきたので、結構何でもできちゃうなと思っていましたね。自分はけっこう器用なんだなあ、と調子に乗っていたような気がします。よく言えば、器用ということですが、悪く言えば器用貧乏ですかね。これがスゴイというような突起物はなかったですからね。対応力やバランス感覚が養われたというのは間違いないですね。
なるほど、バランス感覚ですか。初めてお会いした時から、どんな人でも受け入れてくれるような雰囲気を持っておられると感じていたんですよ。バイト三昧の賜物なのかもしれませんね。ところで、たくさんのバイトをしていて、「正社員にならないか」などお声が掛かったこともあったんじゃないですか?就職活動のお話も聞かせてください。
確かに、いくつかお声をかけていただきましたね。しかし職業にしようと思うものはありませんでした。私の就職活動は、広告代理店とアパレル会社志望でスタートしたんです。当時、表参道付近のジャパニーズレストランでバーテンダーをしていた時のことです。そこには、アパレル関係・広告関係など華やかな方々が夜な夜ないらっしゃっていました。その華やかさに憧れちゃったんですね。いつも綺麗な女性連れ、そしていい服を着ている。きっといい車にも乗っているんだろうなと、憧れだけで就職活動を始めました。志望していた広告代理店やアパレル関係には、数社内定を頂きました。
夜の世界から、アパレル、広告関係への憧れですが。下薗社長のイメージが出来上がってきました(笑)。最終的に、就職先として選んだ業界はどちらだったんですか。
実は、どちらでもなかったんですよ。いよいよ就職先をどうしようかなと思っていた時に、大学の同級生であり、同じアルバイトもしていた友人I君(現在自社の役員)が「面白い会社があるぞ」と言ってきたんです。広告は広告でも求人広告の販売会社だという。今で言う人材ビジネスですが、当時は、人材ビジネスというカテゴリーはありませんでした。広い意味で、まあ広告代理店と言えなくもない。その友人が、そこから内定をもらっていまして、何しろ広告代理店志望の私ですから、一度受けに行ってみました。話を聞いてみると面白そうだなという感覚がありました。さらに、たまたまですが、副社長と2〜3年先輩の人が大学の先輩ということがわかり、親近感も感じていました。そして後日、内定を知らせる電話をいただいたというわけです。
人材ビジネスに関わる運命的な出会いだったわけですね。しかし、憧れのアパレルと広告業界と、何社か内定をもらっていたわけですよね?憧れていた業界ではなく、全く未知の求人広告の会社に就職したのはなぜですか。
日本で老舗といわれる広告代理店にも内定をもらっていたのでかなり迷いました。そこは、歴史があり、安定感もあるのですが、割と小ぢんまりしているところが性に合わないと思っていました。アパレルは、憧れはしたものの、冷静に自分の将来の仕事にするかどうかと考えると、ちょっと違うかなと感じ始めていました。そんな時、なぜかその販社には、直感というか、よくわからない不思議な魅力を感じていました。そこで働いている人のほとんどがみんな元気だし、なぜかいきなり私に握手してくるし。社長に「22〜23の若者が、企業の人事部や中堅・中小企業の社長に対してカウンセリング、コンサルティングができるんだ」「お前の思うとおりに提案ができるぞ」と言われ、これが殺し文句になりましたね。面白そうだな、楽しそうだなと強く感じて、入社を決めました。さらには、内定者の仲間が非常に良かったですね。これはもうここで頑張ろうと思いました。
なるほど、業務内容と働いている人に魅了されたわけですね。販社では当然営業マンとして採用されたと思いますが、カウンセリング、コンサルティングという言葉と現実のギャップは感じませんでしたか。
販社ですから、当然営業マンです。大きいアタッシュを渡され、数種類の求人情報誌の見本と汗拭き用のタオルを入れて、ひたすら飛び込み営業です。それから、テレアポもですね。最初の時期に「営業力においては、親会社よりも販社の方が上じゃないといけない」「うちはメーカーじゃない。お客さんの意見を伝えるという役割はあるかもしれないけれども、俺たちはまずは販売のプロじゃないと駄目なんだ」「求人広告というのは、スペースが白紙としてあって、そこにどうその企業の魅力をクリエイティブしてアウトプットしていくかというのが大事だ。それまで考えるのが営業の仕事だ」と説明を受け納得していました。ですからギャップを感じることなく、ひたすら飛び込み営業をしましたね。まずは興味を持ってもらわないとカウンセリングもコンサルティングもないわけですから。会社から、上司から、理不尽なぐらいに要望されて、理不尽なぐらい仕事をするという時期で、非常に鍛えられました。こうした訓練の時期を持てたことをよかったと思いますし、当時の上司や会社に感謝したいと思います。