株式会社マングローブ
 
語る
有限会社ちか八
近 伸彦様
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鬼才異彩

有限会社ちか八
 本社:東京都渋谷区恵比寿南1-4-17
 設立:昭和28年
 事業内容:御煎餅、鯛焼き、恵比寿さま焼の製造、販売
 URL:http://www.chikahachi.com
 ブログ:http://plaza.rakuten.co.jp/chikahachi
 
 
今回の鬼才異彩は創業から52年、東京・恵比寿の有限会社ちか八の近伸彦氏にお会いしてきました。
バブル崩壊後の経営悪化を乗り越え、恵比寿名物を作り上げてきたお話を語って頂きました。


近さんは生まれも育ちも恵比寿だそうですね。
           

ええ。生まれ育ちだけでなく、学生時代も今もずっと恵比寿です。『恵比寿の鼻垂れ小僧』と呼ばれた私は、この店から歩いて3分ほどの幼稚園と小学校、走って15分の代官山・鉢山中学校、電車で2駅の都立目黒高校、バイクで3分の国学院大学に進学しました。だから小・中・高・大で一番遠かったのが走って15分の中学です(笑)。

その頃とは風景もずいぶんと変わったのでは?

この10〜15年ですっかり変わりましたよ。昔とはまるで違う街ですね。一番変わったのは駅でしょうか。ご存知だと思いますが、私らの子供時代は、恵比寿にはサッポロのビール工場があり、ホップの香りがプンプン立ち込めていたんです。その頃の恵比寿の駅舎は質素な平屋で、私の家の窓からは駅にやってくる国電が見え、お袋の「ノブ、電車来たよ!」の合図に「行ってきまーす」と走れば、間に合うほどでした(笑)。

今とだいぶ趣が異なりますね。

そうですね。20年前、私の大学時代でさえ恵比寿周辺にはタヌキがいたんですよ。当時、恵比寿は代官山、目黒、六本木、渋谷に挟まれたブラックホールと言われるくらい何にもありませんでした。それが恵比寿ガーデンプレイスや駅ビル『アトレ』ができてから街全体がガラッと変わりましたね。さらにはバブルの頃は地上げの影響で、バブルがはじけた後は固定資産税のせいで、やむを得ず店を手離す人が多かったですね。そんな事情や跡取りの問題から、以前のように父ちゃん、母ちゃん、爺ちゃん、婆ちゃんで経営する昔ながらの店は成り立たなくなっていったようです。そして、肉屋、魚屋、クリーニング屋等は続々と廃業してテナントビルを建て、その家賃収入で生計を立てるようになりました。この辺もたくさんお店があったんですが、コンビニやラーメン屋に取って変わりましたね。また、住む人も変わり、オシャレな街になって、ジャージにTシャツ1枚といった格好では歩けなくなってしまいました。

昔から恵比寿で商売されていたんですよね。先代はどんなご商売を。

祖母が昭和28年に店を始めて以来ずっと煎餅屋を営んでまして、煎餅と一緒にタバコや切手なども扱っていました。赤い公衆電話も置いていてある意味、地元のインフラも担っていましたね。そのような家に長男として生まれたのですが、商売を継ぐ気は全く無かったんですよ。というのも、私には学校の先生になりたいという夢があったんです。ところが親父とお袋は学生時代に亡くなってしまい、90歳の祖母も寝たきりの状態。さらには、教員免許の試験にも落ちてしまったので、私は夢を断念し、姉と2人で祖母の介護をしながら、煎餅屋を引き継ぐことになりました。当初はバブル期でしたからそれほど営業努力をしなくてもお客さんはそこそこ来たんですが、バブル崩壊後はパタッとお客さんの足が止まり、恵比寿の街が死んでしまったと言うくらいに閑散としていましたね。当店も売上が30%までダウンしてしまい、その時はさすがに「このまま行ったらもう終わりだ」と思いましたね。 祖母は10年間の寝たきり生活を送った後、99歳で亡くなったのですが、考えてみれば、私の23〜33歳の青春時代は厳しい経営状態と介護で暗黒の10年でしたよ。

その後、何をきっかけに立ち直られたのですか?

祖母の死を境に「これからどうやって生きていけばいいのだろう」と考え始めたのですが、ちょうどその時期、幼少の頃から知っている先輩からとあるビジネスセミナーに誘われたんです。「月1回、朝10時から夜の6時までのセミナーと3時間のミーティングがある。1年間のコースで70万円だ。」と言われて、最初は「馬鹿じゃないの。そんなに払えるわけないだろう。」と思っていたんです。ただ「これからどう生きるのか真剣に考えてみれば?会社の経営をしたいのか、どんな生き方をしたいのか、主催する会社の担当者に会って話をしてみたら?お金の交渉もしてみるといい。」と説かれて、じゃあ会うのはタダだからと会いに行ってみたんですね。「参加して良い結果が生まれなかったら保証してくれるんですか?」とはっきり聞いたら「いいですよ。その代わり全力でやってください。」とおっしゃるので、そこまで言うならやってみるか、と思い立ち、参加してみることにしました。

 
 
 
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