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株式会社ノーブルホーム
福井 英治氏
インタビュー
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経営者略歴
Company Data
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鬼才異彩バックナンバー
株式会社ノーブルホーム
本 社:茨城県水戸市笠原町1196-15
設 立:1994年10月
事業内容:注文住宅の請負ならびに設計・施工管理
U R L:
http://www.noblehome.co.jp
今回の鬼才異彩は、茨城県を中心に注文住宅業務を展開する株式会社ノーブルホーム代表取締役社長
福井英治氏にお会いしてきました。高校教師を経て会社設立に至る経緯や会社経営の手法、思い等を語って
頂きました。
ノーブルホームの社名の由来を教えて頂けますか?
『noble』という言葉には、上品とか気品のあるという意味があります。外観的にもインテリアにも、そういう雰囲気やデザイン性を持つ住宅を作りたいという思いで付けました。年々実感が湧いてきて、とても気に入っています。
もともとは高校の教員をなさっていたとか。
はい。大学卒業後、新設の高校へ赴任しました。その時に野球部も創部し監督を務め、創部3年目にして県大会準優勝までいったんです。そもそも教員になったきっかけは、今は勇退されましたが、常総学院野球部の元監督である木内さんに憧れて、自分も野球部の監督として甲子園に選手たちを連れて行きたいという思いから教員になったんです。その木内さんと巡り合ったのは高校時代でした。当時私は鉾田一高の野球部員で、木内さんは取手二高の監督をされていました。取手二高野球部には、特に目立って優れた選手はいなく、どちらかというと、やんちゃな連中が集まっていました。しかしながら、木内監督はそういう選手たちをうまくマネジメントして全国制覇に導いたのです。 鉾田一校は、私たちの学年にはいい選手が集まっていましたが、取手二高には2回対戦して2回とも勝てませんでした。いくら素材が良い選手がいても、ただそれだけでは勝てないんですね。木内監督は、人材育成とゲームマネジメントとを織り交ぜながら結果を出されていたのです。その手法に魅せられて、自分も「木内監督のような指導者になりたい」と思い、高校の教員になりました。教員を辞めた今でも木内監督のマネジメント手法は経営のお手本にさせていただいています。
教員になられた後は?
教員になって3年目の頃、商売をしていた父親が身体を壊して、会社の業績も悪くなっていました。現役時代に達成できなかった甲子園への夢を指導者としても達成できないまま高校を離れることについて大変悩みましたが、野球部も事業も人のマネジメントという点では同じであろうと考え、父の会社を手伝うことを決めました。もし父の事情がなければ、ずっと教員を続けていたかもしれませんね。
お父様の会社はどのような仕事をされていたんですか?
産業廃棄物の収集運搬の事業です。当時の父の仕事のスタイルは、ただ仕事をこなしていくだけで、あまり経営という視点はなかったんです。そこで私は思い切って経営に踏み込んでみました。といっても私だって経営者一年生ですから、効率や生産性を高めるために、とにかくいろんなことをやったということです。そして1年で売上を2〜3倍にすることができ、ちょうど父の体調も回復してきていたので、少し立ち止まって考えました。父の会社は下請けの立場でしたから、もっと将来の伸びが期待できる事業をしたい、直接お客様と向き合える事業をしたいと思い、修行の意味もこめて、以前から興味があった不動産事業の会社に就職しました。そこで約2年間修行して、今から13年前に独立しました。
不動産仲介事業からのスタートだったのですね。
そうです。しかし2年ほどやって、不動産仲介事業に疑問を感じるようになってきたんです。不動産屋というのは、中古物件や土地の仲介をするだけが多いんですよ。お客様というのは新築住宅を建てる時にはすごく喜ばれるのですが、土地を仲介しているだけだと、その喜ぶ顔を見られない。お客様から「ありがとう」と言われることもない。お客様の喜ぶ顔を見たい、感謝されることを実感したいという思いから、注文住宅を事業の柱にしようと決心し、会社として今のノーブルホームブランドを立ち上げました。
それでは、注文住宅事業のノウハウもなく立ち上げられたということですか?
ええ。あるのは不動産仲介のノウハウだけでした。でも土地を買うお客様は、当然家を建てようと思って土地を買うのですから、あわせて建物の設計プランも提案すればいいと考えたんです。ただ実際の住宅の設計や施工の知識は全くなかったので、知り合いの大工さんに家の建て方や業者施工会社への発注の仕方などを教えていただきながらのスタートでしたね。(笑) それでも住宅事業を始めて4年間で30〜40棟の家を建てることができたんです。そして、ある程度のノウハウが蓄積されたということで、会社設立から5年目に水戸展示場をオープンしました。その時の社員は私と今の専務を含め4人ぐらいでしたが、その2年後に、ひたちなか展示場をオープンした頃から社員を増やし始めました。さらにその2年後にはつくば展示場、その1年後の2004年3月に日立展示場をオープン。今年の新卒入社者を含めて社員は53名になりました。
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