株式会社マングローブ
 
語る
株式会社
ビリー・バルゥーズ・ジャパン
代表取締役社長
野 行男氏

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鬼才異彩

株式会社ビリー・バルゥーズ・ジャパン
本   社:東京都新宿区高田馬場1-17-9
設   立:1993年10月
事業内容:飲食店事業、インターネット事業、広告看板事業
U  R  L:http://www.bbj.ne.jp
 
今回は、 高田馬場をはじめ、都内5店舗にビリー・バルゥーズ・ビア・バーを展開する株式会社ビリー・バルゥーズ・ジャパンの野社長にお会いしてきました。 アパレル会社を経営していた頃の苦労やビア・バーを始めたきっかけ、「100年続くコミュニティスペースを」という企業理念について、熱く語っていただきました。


起業したのはいつ、どんなきっかけですか?

起業したのは23歳の時、きっかけは親父の事業の失敗でした。 私は高校卒業後、カナダ、アメリカ、メキシコと放浪の旅をしていたのですが、親父が急に脱サラしてアパレル会社をやりたいと言い出したんです。私の親父は経理畑の人で、朝の7時半の電車に乗って夕方6時30分には家に帰ってくるということを30何年間続けた真面目を絵に描いたような人でした。そんな親父が何を血迷ったのか定年退職の2年前に「商売をやるから会社を辞める」と突然言い出したんです。もちろん家族みんなは猛反対です。いきなり訳のわからないアパレル会社を起こすなんて絶対失敗するにちがいないと。しかし親父は、どうしても譲らずに、私たち家族もそこまで決意が固いのならばと口出しすることを止めました。その後、親父の起業したいという目標は達成されたのですが、ものの見事に失敗してしまったのです。
起業して1年経ったころに、親父は体を壊して倒れてしまい、その頃海外にいた私は日本に呼び戻されました。数年ぶりに帰った我が家はすでに抵当権に入っている状態、退職金は使い果たされ、なにもかも空っぽでした。

その後はどうなったのですか?

私は日本に帰ってきて旅行会社で勤めはじめたのですが、入社後半年間の研修期間中に親父が脳血栓で倒れ、1億円近い借金を残したまま他界してしまいました。家を売って保険金で埋め合わせしてもまだ7千万円近くの借金が残っている。どうしたって自分の給料では返せるわけはなく、さらに、そのとき私の心の中には「敵討ちしてやるぞ」といった闘争心が芽生えはじめ、旅行会社を辞めて商売で稼いだお金で借金を返していくことを決心しました。今考えると、裁判して借金を放棄することもできるのに、若さゆえの正義感があったんですね。「やられたらやり返す」という気持ちでアパレル会社を再建しようと決めたのです。

お父さまの会社を引き継いだかたちでスタートしたのですね。

はい。まず初めに既存の取引先回りから動き出しました。すると、「おたくの会社とはもう付き合いません」と言われたり、納品書はあるものの支払いをしていただけなかったり、さんざんな仕打ちにあったんです。このことから小さい会社と取引するよりも、ルールがはっきりしていてわかりやすい大企業の方がいいだろうと考え、百貨店と取引することを目標に動き出しました。ただ、まともな売値ではすぐには入れてくれないことも想像できたので、バーゲン屋として入っていこうと決意しました。そうと決めたらすぐに百貨店へ足を運び、営業をしてまわる日々が続きました。思いのほか取引は決まり、数ヶ月後には百貨店のエスカレーターの下で「奥様、タイムサービスでございます!9号サイズ安いですよ」なんて大声を出している自分の姿がありました。こう見えても私、実は以前はおしゃべりが得意じゃなかったんです(笑)。ジーンズとTシャツでアメリカを放浪していた男だし、人混みは大嫌い。商売っ気もないしファッションのファの字も知らない。ルイヴィトンとかああいうブランド感覚もわからなかった。その上、しゃべりが苦手。しかしながら、目の前にある洋服を売らなきゃいけないから一生懸命しゃべりましたよ。不思議なもので、大きな声を出し続けていると、だんだんとしゃべるのが面白くなっていましたね。
例えば、お客さんに試着してもらう際に何でもいいから話しかけるんです。「これからの季節、寒くなるからこちらのカーディガンもいかがですか」とか「旅行へ行くときにひとつあると便利ですよ」とか。自分でもよくもここまで言うなと思うくらいにしゃべっていましたね。そのときに今までの自分とは違うタイプのもう一人の自分の存在に気付きました。それまでは、ワゴンセールの販売をするなんて考えられないほど本当にだまってすましているタイプだったんですけどね(笑)。今では二人の自分タイプを使い分けていますよ。

アパレル会社の経営は順調でしたか?

はい、ちょうど世の中はバブル期の前だったこともあり順調でした。友人をどんどん誘って会社を大きくしていき、27歳くらいの時には黒字に転じることができました。それまでの借金があったので全部損金にできて税金は払わずに済んだこともあり、「なんだ、こんなにいい商売なのか」と思いました(笑)。結果、会社を受け継いだ年には3千万円もなかった売上は、最終的に14億円にまで伸び、傍目からみれば商売はいたって順調に映っていたと思います。しかしながら一方で、百貨店との取引では非常に悔しい思いをしました。実際に取引をしてみてわかったのは、百貨店というのは殿様商売だということ。非課長クラスでも3千万の売上は持たされているので、課長にもなると取引先に対して高飛車な態度でした。そんな業界内で私のような弱小会社は一番弱い立場なんです。例えば百貨店の課長にちょっとお時間をいただきたいと言ったら一時間待たされる。やっと商品を見てもらえたと思ったら3分しか見てくれない。そして最後には「全部いらない」と言われてしまう。そんなつらいことも多くありました。ただ、そのときに必ずといっていいほど、親父のことを思い出しました。60歳近くの親父が、20歳も年下の課長・部長に頭を下げながら仕事をしていたわけです。なぜこんな仕打ちを受けなきゃならないのかと。人生の最期にこんなつらい思いをして親父は死んだんだと。日本の社会全体に対して憤りを感じ、儲かるならなんでもいいのかという疑問が生じました。

 

 
 
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