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有限会社もうやんカレー
代表取締役 辻智太郎氏
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後編 Page
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有限会社もうやんカレー
所 在 地:東京都新宿区西新宿6-25-14
第2仲川ビル1F
03-5323-5539
事業内容:カレーショップ
U R L:
http://home.att.ne.jp/sea/moyancurry
今回は、西新宿にある『もうやんカレー』の辻社長にお話をお伺いしてきました。 一度味わったら忘れられないカレーソースには野菜がふんだんに使用されており、『もうやんカレー』のカレーはまさに健康食品とも言えます。前編では、お店を立ち上げるまでの経緯についてお話いただきました。
はじめてお店にお邪魔しましたが、海辺を感じるような内装で、従業員の方全員がアロハシャツを着用しているとはとてもユニークですね。まずは、『もうやんカレー』の由来についてお聞きしたいのですが。
『もうやん』とは、私のあだ名です。親父が関西出身で、名前の後ろに『やん』を付けて呼ぶ癖がありました。『智太郎』という名前なので、親父には幼い頃から『ともやん』と呼ばれ、そのうち『もうやん』になっていったのです。親父が『もうやん』と呼ぶものですから、自然と友人からも『もうやん』と呼ばれるようになりました。これは今でも変わりません。私自身がこのあだ名に愛着を感じており、ついに店の名称にまでしてしまいました(笑)
なるほど、ご自身のあだ名を店名にするほどの愛着と思い入れがあるのですね。 なぜ、そこまでの思い入れをお持ちなのですか?
手塩にかけて丁寧に作りこんできた店であるということと、カレーが私の人生そのものになっているからです。店の雰囲気やカレーの味にも、私が表現したいことすべてを詰め込んでいますから、この店は私の分身みたいなものですよ。
『もうやんカレー』をはじめたのはいつ頃ですか?
約10年前、現在の西新宿6丁目『利瓶具店』の2軒隣に初めてお店を出しました。そこは、敷地面積わずか17坪に44席という、とても小さな店でした。しかし、自分の店を持てたという喜びの方が強く、広さがどうであろうと全く気にもなりませんでした。ところが、その数年後この土地が再開発の対象地区になっているというので、立ち退きを迫られました。これは今までで一番辛い時期でした。やっと自分の店を持てるようになり、経営も順調で顔馴染みのお客様も増え始めていた矢先のことでしたから。どこか新しい場所で一から始めるということは、お客様との関係もまた作り上げていかなければならないですし、辞める従業員もいるかもしれない。先のことを考えるだけで、不安に潰されそうな毎日でした。
何をどうしたらいいのかと頭を抱え、立ち退き期限も迫るなか、2軒隣の店が閉店するという噂が聞こえてきました。もともとパン屋だったのですが、店をたたむことになったといいます。偶然とはいえ、このめぐり合わせに心から感謝せずにはいられませんでしたね。すぐにその場所に移転する手続きをとり、不安な気持ちを抱えていたのがまるで嘘のように晴々とした気分に変わり、何とか最悪の状況を乗り切ることができました。
本当に運が良かったとしか言いようがありませんが、たった2軒隣で『もうやんカレー』を再開することができたこと、店内が広くなった上に馴染みのお客様にも引き続きお会いできるという、良いこと尽くめの再スタートでした。
ところで、辻社長のお父様も商売をされていたとのことですが、やはり飲食店の経営されていたのですか?
いいえ、親父は健康食品を専門に扱う会社を経営していました。親父はもと建築士で、長年ゼネコン企業で現場監督の仕事をしていました。ところが、仕事上深夜まで働く日々が続き、ついに体を壊してしまったのです。死を覚悟するほど状態は悪く、当時私はまだ小学生で、他にも兄弟が2人おりましたので、父親もどうにか病気を治したいと藁をも掴む思いだったのでしょう。意識的に食生活を改善し、その甲斐あって奇跡的に健康を取り戻すことができたんです。食事療法で救われた経験から「これからは直接人の役に立つ仕事をしたい」と考えるようになり、健康食品やアレルギー食品を製造、販売する会社を始めたのです。
サラリーマン時代の親父は仕事が忙しく日頃顔を合わせることも少なかったので、親父の働く姿を想像することすらできませんでした。しかし、会社を興してからの親父は、とても近い存在へと変わっていきました。病気に苦しんでいる人のためにと、健康食品を開発することに全精力を傾け、汗を流して働く姿を傍で見ていて、素直に「格好良いな」と感じるようになっていました。
当初は、荻窪に構えた店で商品を販売していましたので、私はその店でよく働いていました。働くとはいってもまだ小学生でしたから、登校前と帰宅後に店で卵を箱に詰めたり、配送された無農薬野菜を商品棚に陳列するぐらいでしたが。そんなことがとても楽しくて、今でもいい思い出になっています。金銭感覚を養わせようと、親父は私を働かせていたのだと思いますが、「商売」を自然に学べる環境を与えてくれた親父に今では感謝をしています。
店で働くことが楽しかったせいか、中学時代には「高校へは進学せず、このまま働きたい」とまで考えるようになっていました。ところが、「高校へは必ず進学しなさい。その代わり、腕に何か身に付けられるような高校に行けば、その後自分の足で生きていきていけるから」という親父の言葉が心に残り、伊豆大島にある高校を受験しました。
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