株式会社マングローブ
 
語る
株式会社大漁
代表取締役 佐々木豊氏


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鬼才異彩

株式会社大漁
 所 在 地:東京都墨田区向島2-10-4
       TEL:03-3621-2929
 事業内容:ふぐ・いけす料理店経営
 U R L:http://www.mukoujima-tairyo.com
 
今回の鬼才異彩は、ふぐ・いけす料理店を経営する株式会社大漁のの代表取締役・佐々木豊氏のインタビューをお届けします。
前編では料理の道に進むきっかけや、貴重な漁師生活の経験などをお話いただきました。


財界・政界の方から有名スポーツ選手までと、業界を問わず多くの方々が『大漁』を贔屓にされていると伺っています。大将はいつからご自身のお店を持つようになられたのですか?

自分の手で店を切り盛りするようになったのは、昭和47年。下関で修行をして、地元江戸川区松江に戻り、当時寿司屋だった実家をふぐ専門店として再スタートさせたのが始まりなんだ。

ご実家も料理店を営んでいらっしゃったんですね。

いや、実はもとは自転車屋だったんだよ(笑)。父親が5歳のときに亡くなり、母親が自転車屋で生計を立てながら、子供たちを育てたんだ。その後自転車屋を廃業し、昭和45年から寿司屋を開店したわけ。

そうでしたか。ご実家が自転車屋でしたのに、どのようなきっかけで料理の道へ進まれたのですか?

料理好きな叔父がこの道へと導いてくれたんだよ。当時叔父は飲食店を経営する企業の幹部で、高校卒業後の進路について僕が迷っていると、「これからは飲食業が盛んな時代になる。そのなかでも高級な寿司がいいんじゃないか」と声をかけてくれて。僕もその気になり、東京・新宿にある高級な寿司屋で修行させて貰えることになったんだ。

厳しい店ではあったけど、新しいことを学べる環境に刺激を受け、その店では5年間もお世話になったんだ。その後実家の寿司屋に戻り、従兄と共同経営という形で寿司職人として働き始めたんだけど、当時まだ若かった僕は共同経営というスタイルに馴染めず、何となく居心地が悪くなっていっちゃったんだ。このまま長くいてもお互いに良い仕事ができないと考えた末、1年も経たないうちに店を出たんだ。

店を飛び出した後、これからどうしていこうと?

それからがフグだよ。その頃は今のように養殖のフグが無かったから、東京で美味しいフグを食べさせてくれるお店が少なかった。フグ専門で料理を提供するお店があってもいいんじゃないかと思ったのが下関を目指したきっかけなんだ。思い立ったら即行動だと勢いはあったんだけど、その頃は7月で、まだフグ漁の時期じゃないというのには困っちゃったね(笑)。

多くの人が下関はフグの名産地だと思っているけど、そもそも下関周辺で捕獲されるフグの水揚げ量は少ないんだよ。多くは東シナ海、黄海、日本海の遠洋から、瀬戸内海など近海で水揚げされ、集積地の下関に漁船で直接運び込まれている。だから、下関には多いのはフグの加工工場なんだよね。

フグが獲れない時期であれば、当たり前だけど、工場での仕事もない。でも、時期が来るまで何かしなきゃならない。どうしようかと考えて、福岡や長崎を転々として料理店で修行をさせて貰っていたんだよね。その過程で、いつも手にしている魚をどうやって獲るのか、自分で魚を獲ってみたいと考えるようになっていったの。魚を下ろした経験はあっても、沖での漁経験が全くなかったからね。

ある日、定置網で迷い込んだ魚を漁獲している様子をテレビで観たんだ。その瞬間にさらに漁への思いが強くなって、思い立ったら行動だと五島列島の大瀬崎に向かったわけ。

大瀬崎に行かれたのは、どなたかお知り合いの方を頼ってということですか?

いや、知り合いは誰もいかなかったよ。だって、テレビを観ただけで決めたからね(笑)。でも、どうしていいか分からなかったので、まずは現地の漁業組合を尋ねたんだよ。そうしたら、有難いことに、すぐに漁船に乗せて貰えることになった。しかも、寝泊りは組合の宿直室を使用してもいいというのでその言葉にすっかり甘えさせていただき、さらには風呂や食事は地元の旅館の方にお世話になっちゃった。人の親切心や温かさに支えられたんだよね。しかも、どこの馬の骨とも分からない若者を、足でまといだろうけど漁船に乗せてくれて、漁を手伝わせてくれたんだからね。
 

 
 
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