株式会社マングローブ
 
語る
株式会社ビジネス・アーキテクツ
代表取締役 林 亨氏


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鬼才異彩

株式会社ビジネス・アーキテクツ
 所 在 地:本社 東京都港区海岸1-11-1
           ニューピア竹芝ノースタワー
            TEL:03-3431-2511
       下田オフィス  静岡県下田市三丁目13-11
 事業内容:クライアントとその顧客とのあるべきコミュニケー
       ションを提案し、その実現を支援するため、クライ
       アントのブランド構築やマーケティング戦略から
       Webサイト設計〜デザイン〜実装〜システム設計・
       開発〜運用設計・支援までをワンストップサービス
       として提供しています。
 U R L:http://www.b-architects.com

前回に引き続き、株式会社ビジネス・アーキテクツの林社長のインタビューをお届けいたします。
後編では、ビジネス・アーキテクツ創業後のお話から現在の課題についてお伺いしてきました。


そしてとうとう1999年、現在の株式会社ビジネス・アーキテクツの前身、株式会社リフレクスが誕生するわけですね。

そうですね。静岡県下田を拠点に、わずか5人でのスタートでした。

下田を拠点にしたというのは?

実は以前からインターネットビジネスに関する雑誌や書籍の執筆をしていたのですが、その仕事に集中するために少し環境を変えたいと考えていました。そこで、インターネットが接続できる宿を検索したところ、やっと辿り着いたのが何故か下田だったわけです(笑)。意外にも結構気に入りまして、それから毎月1回は通っていたと思います。それを2年間続ける間に、地元で友人が出来たり、馴染みのお店が出来たりで、かなり居心地の良い場所になっていったんです。そんなことで、下田を拠点にしてしまったんですね。

どこに会社を設けようと、ネットワーク型で仕事ができると考えていましたし、米国企業の日本展開などをサポートしながらのんびりと仕事を始める予定でした。

ところが、実際はそうはいかなくなってしまった?                

そうなんですよ。下田でのんびりと過ごしていたら、以前一緒に仕事をした大企業の担当者から電話がかかってきたんです。それがあまりにも大きな仕事の依頼でした。しかも、他に3社とのコンペ。 担当者が旧知の仲でもあったのでよくよく話を聞いてみると、社内を説得できるような決定的な提案をすればコンペをしないで決裁できると。そこで競合になりそうな企業3社に心当たりがありましたので、他の3社に声かけし、自社を入れて「4社合同プロジェクト」という提案をしたのです。

それはとても画期的なアイディアですね。

おかげさまで、すぐにその提案が通りました(笑)。
同業4社が合同で仕事をする上では大変なこともありましたが、意外に面白かった。そこから「みんなで一緒にやった方がいい仕事ができるんじゃないか」という話になり、その集団が株式会社ビジネス・アーキテクツの創業メンバーとなりました。リフレクスの立ち上げから1年、2000年の時のことでした。

ところで、『ビジネス・アーキテクツ』という社名の由来を教えてください。

「Webビジネスを作る人・構築する人」に由来しますが、Webという言葉はいずれ廃れるだろうと考え、ビジネスを構築する人が集まっている会社を意味する「ビジネス・アーキテクツ」にしました。1人1人がビジネス構築する人「アーキテクト」、ビジネスを作るプロの集団でなければいけないという想いを込めています。

業界をリードするような方々が集まったわけですが、立ち上げから順調だったのでしょうか?

残念ながら、私が想像していた通りうまくいったわけではありませんでした。

当時、Web関連の仕事をしている人々の情報交換の場となっているメーリングリストがありまして、それを通じて優秀な方々にも声をかけていたんですね。

ゴールデンウィーク明けを初出社の日と決めていましたので、ゴールデンウィーク中に私は一人オフィスに入り、社員の机を配置し、各自のパソコンを設置するなどして、新しい出発にやる気と期待で満ち溢れていました。

ところが、当日メンバーは揃ったものの、顔を合わせたことがない人間同士の集まりになってしまったわけです。いくら制作者として確かな腕を持っていても、ただ集まっただけでは駄目でした。それぞれが仕事の進め方も違いますし、特にフリーで仕事をしていた人はどうしても独自のやり方を優先してしまう。

そんな状況でしたから、最初の半年間は本当にヒドイ状態でした。お恥ずかしい話ですが、とにかく滅茶苦茶でしたよ(笑)。誰がどのプロジェクトを担当しているか分からないし、役割分担も明確にはなっていなかった。そのため自分にいつ仕事が回ってくるか分からないから、誰も帰宅しない。朝から晩までジッと机で待機しているわけです。

これでは非効率的ですよね。そこで、各プロジェクトに対して、各自が得意分野を手がけ、作業を分担して共同で仕上げるといった流れに整理したことで、ある程度は解決していきました。

ところが、創業した2000年はネットワーク構築が盛んな時期で、仕事の依頼も非常に多かったんです。しかし、社内分担がまだ慣れていないこともあり、お客様の数を絞り込まざるを得ない状況でした。それにもかかわらず、社員数を増やしたために混乱が混乱を呼び、残業や徹夜の連続で、2000年が終わる頃には会社全体が疲弊してしまっていました。
 
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