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株式会社名学館
代表取締役社長
佐藤剛司氏
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後編 Page
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経営者略歴
Company Data
鬼才異彩バックナンバー
経営者に学ぶ
(1)『マネージメントの原点は
「お前に任せる」の一言 』
(2)『採用における成功の秘訣は
『3つの目』評価』
(3)『まずは基本的なことから
徹底する』
(4)『教育者に必要なのは、『改革』
『改善』『創造』する姿勢』
(5)『教育産業はサービス業である
ことを意識する』
株式会社名学館
所 在 地:東京都港区六本木7丁目17番16号
パシフィックスクエア六本木3F
TEL:0120-4119-55
事業内容:小・中・高・卒生対象の個別指導学習塾
「名学館」の直営およびフランチャイズ本部
学習塾経営のコンサルティング事業
U R L:
http://www.meigakukan.co.jp/
今回の鬼才異彩は、株式会社名学館 代表取締役 佐藤剛司氏のインタビューをお届けいたします。
同社は「わかりませんは大歓迎!」を教育理念とする個別指導学習塾を運営、1988年の開塾以来、直営校・FC校を含め全国各地に約160校を展開中です。教育産業全体を変えるような独自システムの開発に意欲的な姿勢を見せる佐藤社長。前編では、会社設立の経緯と独自の人材採用方法についてお話いただきました。
佐藤社長が23歳の時に名学館を設立されたと伺っています。当時としては異例の若さで経営者になられたのではと思いますが、創業の経緯を教えていただけますか?
大学卒業後、商社に就職したのですが、入社後直ぐに不慮の事故に遭ってしまいました。乗っていた車がペッタンコになる程の大事故で、長期入院を余儀なくされました。8ヶ月の入院生活を経て怪我もかなり回復し、念願の職場復帰を果たすことができました。
しかし、職場に戻るや否や以前に所属していた部署には戻れないことが分かりました。事故に遭う前は、自分の天職だと思える営業部隊に所属していて営業成績も良かった(笑)。だから、復帰後も当然営業部に戻るものだろうと思っていたのです。ところが、事故による後遺症を心配してか、「残業がほとんどない、内勤勤務に移ってはどうか」と会社側から打診されたのです。営業マンであることに誇りと生きがいを感じていた私にとって、事務職への異動命令はまるで死刑宣告のようなもの。大げさな表現かも知れませんが、本当に目の前が真っ暗になりました。「元の部署に戻れないということは、私の居場所はもうここにはないのだ」とか「会社にとって自分は大きなお荷物なんだ」とか勝手に思い込むようになっていました。今思い返せば、発想が極端でしたよね(笑)。
+(プラス)がデザインされた
会社案内パンフレット
営業部隊に戻れないのなら、もう会社を辞めるしかないと?
私もまだ若かったですからね、思い込んだらまっしぐら。もう誰にも止められない(笑)。翌日には辞表をバーンと叩きつける自分がいました。もうこれ以上人に判断を委ねる道を進むのではなく、すべて自分で選択できる人生を歩んでいこうと決意した瞬間でした。
突然会社を辞めて起業するに至ったわけですが、そこには不安はなかったの
でしょうか?
全くなかったですね。もともと30歳位で独立しようと考えていましたから、少しだけ時期が早まったぐらいにしか感じていませんでした。今思えば、世の中をかなり甘く見ていたんだと思います。今のような情報化社会にあって「事業計画の書き方」とか「起業とは何か」といった情報に触れていたら、怖気づいてしまって起業する勇気なんて持てなかったでしょうね。
私は経営者としてここまでこれたことを「無知の勝利」と呼んでおります(笑)。大事故に遭っても生還できたんだから、それを思えば何だって出来る。「絶対に負けない!」という気持ちだけで突き進んできただけですから。
さて多くの業種から、なぜ学習塾経営を選ばれたのですか?
正直言いますと、当時の自分にできることと言えば、子供に勉強を教えることだけだったからです。子供に教えるのが好きでしたし、アルバイトで塾講師の経験もありましたから、生徒さえ集められれば後は何とかなるだろうと思ったわけです。
その一方で、『先生』という役割に多少の憧れの気持ちもありました。というのは、少年時代の私は手のつけられないほどの悪ガキで、立ち直るきっかけを作ってくれたのが『先生』だったからなのです。
私が悪ガキになったのには理由があります。小学生の頃、クラスメートから塾に誘われたことがありました。それを両親に話したら「塾は金持ちが行くところ。うちにはそんなお金はない。」と一喝されてしまったのです。子供が勉強したいと言っているのに、なんて酷い親だろうと正直感じました。おかげで塾への憧れと自分の置かれた境遇との板挟みで、悶々とした日々を過ごすはめに。そんな中、唯一自分がナンバーワンになれる場所を見つけました。それが俗に言う『不良』の世界だったわけです。
しかし、中学校でラグビーと出会い、恩師にも恵まれました。自分がうまくコントロールできなかったエネルギーの矛先をラグビーにぶつけることができ、さらには自分自身を真っ向から受け止めてくれる先生の存在も大きかった。心の底から嬉しかったんですよ。もう不良でいる必要性がなくなったのです。そんなこともあって、教育者という存在に無意識のうちに憧れを抱くようになったんだと思います。
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