株式会社マングローブ
 
語る
株式会社イー・コミュニケーションズ
代表取締役 
佐藤信也氏


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 経営者に学ぶ

 (1)『すべて縁を大事にする』

 (2)『ナレッジ・イノベーション・カンパニ
    ーを目指す』

 (3)『イノベーティブな活動をしたメンバ
    ーを表彰する』



 
マングローブの事業概要5+1
鬼才異彩

株式会社イー・コミュニケーションズ
所 在 地:東京都千代田区永田町2-14-2 山王グランドビル9F
      03-5157-5678
事業内容:CBT(コンピューター・ベースト・テスティング)事業
      SI(システム開発・運用)事業
      e-Learning(ツールの導入・Web化)事業
U R L:http://www.e-coms.co.jp/      
 
今回の鬼才異彩は、株式会社イー・コミュニケーションズ 代表取締役 佐藤信也氏のインタビューをお届けいたします。同社はCBT(Computer Based Testing)において圧倒的な地位を確立し、その技術を軸に資格検定団体向けオンライン受験の申込・資金決済を主とするインターネット・ソリューション及びそのサービスとサポート、そしてeラーニング用のコンテンツ企画・開発など幅広く事業展開をされています。創業から7年、数年後の株式公開を目指すまでに着実に成長を遂げています。前編では、起業までのお話を熱く語っていただきました。


佐藤社長とは、つきあいが長いので、あらたまってのインタビューは少々気恥ずかしいところもあるのですが・・。このような形でじっくりお話を聞かせていただく機会に恵まれまして、今日はとても楽しみにしています。リクルートコスモスという不動産会社への就職が、佐藤社長のビジネスキャリアのスタートなわけですが、そのあたりのお話から始めさせていただいてよろしいですか。

高校時代からずっとバンド活動に没頭していまして、大学時代には中退して真剣にプロを目指そうかと思っていたくらいです。しかし、両親の猛反対に合ったことで現実を知り、卒業後は企業に就職しようと就職活動を始めました。ただもとの趣味志向は音楽ですので、受ける企業と言えば音楽レーベル会社などの音楽関連会社や、ちょっと幅を広げて広告代理店やテレビ局、新聞社などマスコミ系を中心に訪問していました。その過程で "リクルート"にも注目し、運良く内定もいただくことができ、入社の意志を早々と固めてしまいました。

なるほど。結局リクルートコスモスに入社されるわけですから、その後に紆余曲折のドラマがあったわけですね。

そうなんですよ。すんなりとリクルート入社、ということにはなりませんでした。就職先を決め、次に気になりだしたのは配属先でした。社員の方々から様々な事業の話を聞く機会をいただいたのですが、一番惹かれたのは都市開発。というのも、当時リクルートは岩手県安比高原でスキー場やゴルフ場、滞在型のオールシーズンリゾートを開発中で、部署名はうろ覚えですが、「エリア開発事業」を広く展開しようとしていました。それが非常に格好良く感じたわけです。僕もまだ若かったので、「一般情報誌を扱うよりも、街づくりのような大きいことをやりたい!」と野望を持ち始めました。そんな矢先にリクルートコスモスに勤務していた大学OBから「リクルートグループには、リクルートコスモスという会社があって、そこに行けば徹底的に不動産関連の仕事ができるぞ」と声をかけられたんですよ。

グループ会社について理解していなかった僕は、リクルートコスモスはてっきりリクルートの配属先の一部署なんだろうと思い込み、コスモスに勤務する方々にお会いする機会をいただき、先輩方から仕事の話を聞くにつけ「不動産には夢があっていいなぁ」とさらに心を揺さぶられるようになっていきました。

しばらくして、その大学OBから、「リクルートとリクルートコスモスは別会社として採用活動をしているので、どちらに行くのか決めてほしい」と言われたのです。その時初めて自分が大きな勘違いしていることに気がつきました(笑)。迷ったあげく、リクルートに頭を下げにいきました・・・。

なるほど。不動産事業への思いがかなり大きくなっていたわけですね。入社を決意された時はどんなお気持ちでしたか?

骨を埋める覚悟でしたね。一旦入社を決めたからには、出世街道まっしぐらの道を走り、最終ポジションとして社長を目指そうと夢見ていました。そのために、まずは一刻も早く昇進して、最年少マネジャーになりたいと思っていました。だから、内定者時代から内定者向けの飲み会やパーティを企画したり、社員と内定者の橋渡しをするような役割も果たしたりと、内定者の中でも結構目立った活動をしていたと思います。余談ですが、同期にはUSENの宇野氏、インテリジェンス鎌田氏、ベレックス八藤氏、カフェカンパニー楠本氏・・・などもいまして、内定者全員がすごく仲良くなり、それぞれが経営者となって別の道を歩んでいる今でも良き飲み友達なんですよ。

そして、待ちに待った配属先発表の日。僕に告げられたのは賃貸事業部でした。あれほど目立った活動もしていて、自分のやりたいことを社員の方や社長にまで伝えていたつもりだったにもかかわらず、都市開発事業でもなく、新築分譲マンション事業でもない、自分がまったく希望していなかった賃貸事業部。倒れてしまいそうなほどショックを受けました。でも逆に、同期の中でたった5名の配属でしたから、「俺たちははじきものだ」というので賃貸組の結束が強まりましたね(笑)。

配属に関しては相当ショックを受けたわけですが、今経営者となって思うのは出発点として賃貸事業に携われてよかったということ。なぜかというと、分譲事業の場合は10か月あるいは半年ペースでいかに採算を取っていくかという観点で仕事をします。一方で、賃貸事業というのは5年、10年、15年という長期に亘っていかに投資分を回収していくかという観点で仕事をするので、現在の数字の追い方に非常に似ているんです。 不満ながらスタートしたものの、その後は周囲の環境にとても恵まれ、新人賞やMVP賞をいただいたりして、結構早いスピードで責任ある業務を任せていただくことができました。 あの頃のことは、今でも良い思い出になっています。
 

 
 
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