株式会社マングローブ
 
語る
株式会社イマジナ
代表取締役
奥山由実子氏


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  経営者略歴
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  鬼才異彩バックナンバー

 経営者に学ぶ

 (1)『ゴールを明確にする』

 (2)『目の前のクライアントの課題解決
   に150%の力で取り組む』

 (3)『不可能は自分が決めること』

 (4)『失敗のない成功はない。
   大切なのは、二度と同じ過ちを
   繰り返さないこと』

マングローブの事業概要5+1
鬼才異彩

株式会社イマジナ
所 在 地:東京都新宿区市ヶ谷田町1-2 ランゴスタビル7階
事業内容:人事管理コンサルティング・人材開発
U R L:http://www.imajina.com/
 
今回の鬼才異彩は、株式会社イマジナ 代表取締役 奥山由実子氏のインタビューをお届けいたします。奥山氏は1994年にニューヨークを拠点とする人事コンサルティング会社を設立、米国に進出していた多くの大手日本企業の人事面における課題解決のエキスパートとしてその名を轟かせてきました。米国で培ったコンサルティングの経験と実績を日本における企業のグローバル人事戦略に活かすため、昨年日本に進出し、株式会社イマジナを設立されました。前編では、奥山社長の生い立ちや米国での起業に至るまでのお話を伺いました。


株式会社イマジナ設立1周年を迎えられましたね。また、5月に出版された『伸びる会社は月曜の朝がいちばん楽しい』(アーク出版)の売れ行きも好調だと聞いております。そんなおめでたいこと続きの奥山社長から、本日は起業のきっかけからお話をお伺いしたいのですが。


お褒めいただきありがとうございます。でも、アメリカで立ち上げた会社を軌道に乗せるまでに数年かかりましたから、生まれ故郷である日本だからと言って楽な道が待っているとは思っていないんです。今年が2期目ですから、これからが頑張り時ですよ。

私がなぜ日本ではなく、アメリカで起業することになったのか。その理由は私自身の生い立ちが影響していると思っています。私は生まれも育ちも浅草で、実家は祖父の代から続く呉服屋を営んでいました。皆さんがご存知の浅草寺は幼い頃からの遊び場で、鳩に餌をあげていたりすると外国人観光客からよく声をかけられたものです。そんな環境で育ちましたから、いつしか「将来は英語が話せるようになりたい」とか「海外に行きたい」という夢を自然に抱くようになっていきました。

そんな私の思いとは裏腹に、家族の口癖は「早く結婚して良いお嫁さんになりなさい」とか「就職なんか意味がない」。でも、私は自分の性格をよく理解していましたから、結婚して家事に専念するような生活を続けることは到底無理だろうと。だから、「手に職だ!」という考えでした。「一人でも生活していけるような仕事を見つけなければいけない」と心に決め、パタンナーを夢見て、短大を卒業後にアパレルメーカーに就職しました。

パタンナーですか、それは少々意外でした。社会人スタート時から人事関連の仕事に就かれていらしたとばかり思っていましたから。


私はこう見えて物作りが趣味で、実家が呉服店だったからでしょうか、洋服を作ることを得意としていました。浴衣からセーターまで自分で縫ったり編んだりしていました。 パタンナーになりたくて入社したものの、まずは販売を経験しなければならず、マルイや伊勢丹などの百貨店に入っているショップの販売員としての経験を積みました。この頃の日本は景気が非常に良くて、店頭のマネキンに着せた服や小物がすべて一気に売れてしまうケースも多く、週末が過ぎると売り場の在庫がスッカラカンになってしまうほどでした。

そんな時代に販売員を3年間勤めたわけですが、アパレル業界全体を見渡した時に自分の先行きに夢が抱けなくなり、結局退社したのです。その当時のアパレル業界はまだまだ男性中心の社会で、まだ若かった私は自分の目指したいロールモデルばかりを追い求めていたんだと思います。自分で切り開く強さというものをまだ持ち合わせてはいなかったんです。

退職後は、退職金を片手に友人の住むイギリスを訪れ、財布がスッカラカンになるまでの3ヶ月間、イギリス生活を思いっきり堪能しました。滞在中に語学学校にも通い、簡単な挨拶程度の英語を話せるようになっていましたから、日本へ帰国後は外資系企業で働こうと真剣に考えるようになりました。

そして帰国するや否や外資系企業の面接を堂々と受けに行き、「この程度の語学力でよくここにいらっしゃいましたね」と嫌味を言われることもしばしば。英語検定試験の点数は低くても、とにかく働いていける自信だけはありました。でも、私の意気込みとは裏腹に面接不合格の連絡ばかり。そうなってみて初めて自分の実力のなさに気付きましたね(笑)。なかなか長続きできる仕事を見つけられない中で出会ったのがある語学研修会社でした。実力によって給与額を決めるがそれでよければ、と言ってくれた唯一の会社でした。

なるほど。その会社との出会いが奥山社長の転機ともなるわけですね。


ええ、そうです。研修会社との面接では語学力云々よりも、「奥山さん、あなたは営業を出来ますか」と尋ねられ、「営業なら任せてください」と自信を持って答えるとトントン拍子で入社が決まっていきました(笑)。

その会社では企業向け語学研修事業と英会話スクール事業を展開していて、当時としては珍しい女性経営者でした。社長は主婦時代に事業を興し、離婚を経験後自らの手で子供を育てるために、自分で会社組織にして大きくしてきた方でした。色々な経験をされた社長の話には、常に説得力があり、とても勇気づけられていました。社員の9割は女性で、ほとんどが転職経験者な上に、不思議なほど活気のある社風が、私にとっては働きやすく居心地が良かったですね。英会話スクールの営業と運営を3年、そして企業向けの語学教育の提案営業と運営を3年というように、いつの間にか6年の月日が流れていました。

6年も経つと、私の中で眠っていた海外への思いが再沸騰してきました。その会社にはニューヨークとパリに支店があり、ニューヨークへの転勤希望を出し続けていましたが、なかなか実現に至りませんでした。決死の覚悟で「ニューヨークに行かせていただけないのなら会社を辞めます」と社長に直談判し、ようやく切符を手に入れることができたのです。
 
 
 
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