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語る

株式会社ヒューマネクスト
代表取締役
浜本亜実
経営者に学ぶ

(1)自分の人生をかけて、使命感を持って挑戦し続けたい

(2)自社でしか絶対できない仕事をしたい、ものすごくクオリティを追求したい

(3)クライアントの人事の方とずっと共同してやっていく、そのプロセスに幸せを感じています

マングローブの事業概要5+1

鬼才異彩

浜本亜実
株式会社ヒューマネクスト
所 在 地: 〒106-0047 港区南麻布4-14-4
第二幸ビル6F
事業内容:
  • 教育コンサルティング
  • サービスプランニング・プロデュース
U  R  L: http://www.humanext.co.jp/

今回の鬼才異彩は、株式会社ヒューマネクスト 代表取締役 浜本亜実氏のインタビューをお届けいたします。同社は、企業にとって最も重要な役割を果たす【人材】を創りあげることを追求しており、事業として、主に人材の教育コンサルティングとサービスクオリティ向上のためのサービスプロモーションを提供しています。前編では、起業の生い立ちや創業の経緯ついてお話いただきました。

浜本社長は起業して、何年になりますか?

今年の8月で、4年目に入ります。

丸3年が経つわけですね?
俗に創業3年と10年は節目と言いますが、いかがですか?

創業直後から比べますと、事業内容を自信持って話せるようになってきましたし、体制もできてきました。昨年単独のオフィスにも移転することができまして、ここからが真のスタートかな、という感覚を持っています。

創業時は、ご苦労されたんですね?

最初は大変でした。途中から社名変更し株式会社化したのですが、最初は有限会社を一人で立ち上げまして、まずは仕事がないわけなんです。人材育成のコンサルティングを生業としたくて立ち上げたものの、業界への理解も十分だったわけではなかったものですから、どの分野でやっていくかも絞り込めていなかったですし、先輩企業が数多ある業界ですから、黙っていてあちらから仕事が降ってくるということもないわけです。そんな状態ですから、仕事を受注するのに一苦労する時期が続きましたね。

私も同じ経験をしているのでよくわかります。立ち上げ時に仕事がないのはつらいですね。

それまでの経験でできることを何でもやっていました。美容の仕事もしました。これは身だしなみやメイキャップなどのセミナー講師ですね。PRの仕事の経験もあったので、PRの仕事もしましたし・・。本来はやりたいことに絞り込んで我慢が必要なんでしょうけど、生活の不安もありますから、どうしても間口を広くしてしまってましたよね。

将来の人材教育の仕事を夢見ながら・・・というところでしょうか?
そもそも浜本社長が、教育の仕事を生業にしていこうと考えることになったきっかけは、どんなことだったんでしょうか。

それがですね、感動的な体験をしたんですよ。独立前に勤めていたのが、複合施設を運営するディベロッパーだったんです。私が所属していたのは、施設全体の運営・マネジメントを実施する部署でした。テナントさんのスタッフの方や、警備や清掃のスタッフに集まっていただいて、施設全体のポリシーや、ホスピタリティーの姿勢などの意識を醸成していく研修を実施していたんですね。60歳くらいの大先輩もいれば、18歳の若者もいるという状況でワークショップなどをやっていくんですが、そもそも皆さん自分で望んで来られているわけではないものですから、それはそれは大変で・・・。

自分には関係ないね、というような斜に構えた方もいるでしょうしね。

そうなんですよ。なんでこんなことやらなくちゃいけないんだという反感を受けたことも多々ありました。

お聞きしていると、とても教育の仕事を生業にしていこうと思われたきっかけのお話には思えない大変な状況ですね(笑)。

語る:浜本亜実 そうですよね。実は私も最初はやりたい仕事というわけではなかったんですね。それが不思議なことに、やっていくうちに、人の心が輝く瞬間と言いますか、一人の人が変わっていく瞬間というものを目の当たりにする機会があったんですね。この仕事の目的、意義は頭ではわかっていたんですが、完全に腑に落ちているわけではない状態でやっていたわけなんです。ある回に、18歳のある店舗の男性が参加して来られたんですね。どちらかというと悪いタイプの風貌と態度で、とてもふてくされた感じで参加していたんです。色々な職種の大先輩方と交じってやっていくんですが、「俺は何もしないぞ」という光線を出していますし、話は聞いているんだかいないんだか反応はありませんし、ディスカッションは弾まないし・・・。まだ20代の経験の薄い私は、時々立ち往生しながらも必死に体当たりしてやっていたんです。

誰かと一緒ということでなく、未経験でも一人前扱いで、一人でやっていたんですか?

そうなんですよ。最初こそ、コンサルテイングの先生方にいっぱい教えていただいて、後はいきなりポーンと独り立ちです。ホントに必死です。自分で何とかしていくしかないんです。一生懸命やっていると皆さんもそれに応えてくださると言いますか、皆さんの助けもあって場の雰囲気もどんどん変わっていくんですね。
さあ、いよいよ最後に一言ずつ仲間にメッセージを言う場面がやってきます。18歳の彼の番が来ました。いきなり彼がスックと立ち上がると、何かとんでもないことを言い出すんじゃないかとすごくドキドキさせられて、場内も水を打ったように静かになったんです。
そしたら、その彼が、いきなりボロボロと泣き出したんですね。その口からは「ほんとにありがとう」という言葉が出てきたんです。これまで、人に真剣に怒られたり、まっすぐに向き合って何かを教えてもらった経験が一度もなかったんだとか。ものすごくうれしいし、それを先生に伝えたい、というような内容のことをすごく短く言って座ったんです。
その瞬間に、私の中にこれまで漠然と考えてきていたこの仕事への思いなどが、ボロッと崩れ落ちたような気がして・・・。一緒に私もその場で号泣してしまったんです。

お聞きしていて鳥肌が立ちましたよ。感動が伝わりました。浜本社長が感動したご様子が、まざまざと浮かんでくるような気がしました。

その時、この仕事を中途半端な気持ちでやっていては絶対にいけないし、もっと自分が本気で向き合うことをしないといけないと心から感じた瞬間だったんです。それと同時に、こんな微力な自分でも何かを伝えることができるかもしれない。それがたとえ目の前にいる一人かもしれないけれど、何か大きな意義があるように感じました。そして、それは技術というようなものではなく、何かを伝えたい、役に立ちたいという気持ちなんだということも感じました。
もっともっとこの分野を追求していきたいと決意させてくれたできごとでした。

運命的な出来事でしたね。最初はやりたいという仕事ではなかったということでしたが、やり続けてよかったですね。

実は苦手分野であり、将来自分の目指す方向性とかけ離れていくことに毎日不安をかかえていました。商業施設全体のCS向上をミッションとして、研修プログラムを作りイベントを計画して、月に200人ほどの方の教育を担当していたわけです。仕事そのものにはあまり興味がもてなかったのですが、会社がものすごく好きで、仲間が大好きだったものですから、モチベーションだけはものすごく高かったんです。

何故にそこまで、嫌だったんですか?今となっては天職じゃないですか。

その当時は教育という仕事の奥深さを感じることもできない未熟な自分でした。それまでPRの世界で新しい企画を立案しては、営業に飛び回る日々に慣れていたこともあり、教育ということは、同じことを繰り返し伝えるルーティンワークのように感じていました。今から思うととんでもない勘違いなんですけれども、その時は何もわかっていなかったんです。受講する人は違うだけで、いつも同じプログラムで、いつもいつも繰り返しのように感じてしまっていた。そのうち人に伝えることがとても嫌になっている自分がいて・・・。常に部署異動をしたいと願っていました。その仕事にまっすぐに向き合っていなかったんだということが、今わかります。

自分の人生をかけて、使命感を持って挑戦し続けたい

正に人生の転機ですね。浜本社長、ドラマチックに歩んでおられますね。さきほど、その仕事に着く前から起業することは決めていたというお話しがありました。起業を志すようになった背景にもドラマがありそうですね。

やはり人生一度きりですよね。自分の人生をかけて、使命感を持って挑戦し続けたいという思いは持っていました。実際に起業したのは28歳の時なのですが、実は「24歳で起業しよう」と決意していたんです。小学校の頃から、いわゆるお受験をしないといけない地域に住んでいて、ガリ勉だったのです。大げさに言うと記憶の中では24時間勉強漬けというくらい勉強していました。それほど努力しても結果というものは非情でした。希望の大学は軒並みうまくいかず、ようやく滑り止めで合格するという結果になってしまいました。
ところが一緒にやってきた友人達の多くは皆合格していきます。人一倍努力していたつもりだっただけに、落ち込みも大きかったんです。その時に私の中では、「人生は努力してもうまくいかないこともあるんだ」という諦めにも似た言葉が渦巻いていました。何をする意欲もなくなった人生を諦めたような時期を過ごしました。